こころあそびの記

日常に小さな感動を

未来に贈る言葉

 

 WBCで大活躍したメンバーの会見を見ていて、私が若かった頃とは明らかに違うと思いました。

 

 思えば、団塊の世代は、戦争を知らない子どもたちとして、大切に育てられました。

 自分の立ち居振る舞いが後世にどんな影響を及ぼすのかなんて、考えることなく育ってしまいました。力づくで、もぎ取る人生といえばよいのでしょうか。

 当時、流行った学生運動にしても、今の自分たちの状況しか頭にないから、あんなことができたのではないかと思ったりします。

 周りを見渡すことよりも、一歩でも前に進むことを、本人も世間も目指していた気がします。

 

 それは、多分に、戦争を体験した親世代の夢の体現方法でした。幸せは、前進することで得られると信じていた世代です。

 何もかも無くしたことために、代用品を探し回わって、そのあげく、愚かさに気づかずに逝ってしまいました。

 物で心を満たすという方法しか思いつかなかった。

 戦争とは、残酷なものです。

 心を満たすより、腹を満たすが先です。

 

 

 そして、時代は移り、ようやく衣食足りて、何のために生きるのかを、団塊の次の世代が探るようになりました。

 その人たちが育てた子どものまともな言い分に、感服するばかりです。

 「僕がそうであったように、僕たちのプレーを見て、子どもたちがまた憧れてくれたら何よりもうれしいです」。

 なんという完成されたコメントでしょう。今の自分が、後の世のために何を残せるかを知っています。

 

 子ども時分に、どんな大人になりたいかをイメージすることの重要性を大谷選手も話しています。

 彼が、心豊かに育ったということは、心豊かに育てと願った彼のご両親があってのことと頭が下がります。

 今の子は賢い。

 太刀打ちできないくらいに賢いです。

 

 

 「俺の人生は失敗ばっかりやった」と言い残して亡くなってしまった父。

 仕方ないです。心引き裂く戦争で何もかも無くした時代に、その日その日を懸命に食べるために生きたのです。それは、その時代に生きた人の勉強でした。

 それに引き換え、表面上平和な現代に生きるための課題は全く違うものです。

 目に見えないものを追いかけなければなりません。それが何かが分からないために、かえって迷い子を生むという難しい時代です。

 それでも、WBCの出場選手たちの言葉からは、確実に優しくて面倒見のよい若者が育っていることを確信しました。

 この不安定な世相と嘆くことはないと思いました。いい子が育ってきている。

 その事実が、残り少ない人生だけど、この先を見たいからもう少しがんばろうと思わせてくれています。

 ありがとう。