こころあそびの記

日常に小さな感動を

二つの自然

 

 「お日さまの子どもです♪」

 幼稚園で教えてもらった「タンポポ」の歌です。歌詞どおりに、思いっきり手足を伸ばして咲いているタンポポの花。

 眩しい朝の庭で、私も見て、と囁く声がします。

 

 

 ノゲシの花です。こちらも朝の光を受けて元気に咲いていました。

 黄色はお日さまの色。

 白色に次いで光をはね返す力のある春の贈り物です。

 

 星野道夫ファンの私は、昨晩、またまたBS『時を超える旅』を観てしまいました。

 

 今回は彼に限りない憧れを持つ大竹英洋氏が、星野さんの足跡を辿る旅でした。

 その中で二つの自然があるという段に共感した次第です。

 一つは、今、目の前に見える自然の姿です。

 もう一つは、目にすることのない遠い自然です。

 

 星野さんの写真に写るアラスカは、彼が誠意をもって切り取ったものです。それは、一万年も前から変わらず続く営みだといわれます。

 この目の前の自然から、決して訪れることのできない時を“想像”してほしい。星野さんのこの言葉を、ナレーションが何度も使っていました。

 

 自然はそこにただあるだけです。

 ですが、人間に想像するチャンスを与えてくれます。たとえば、子供の時に見た風景や、古い写真から遠い記憶が蘇ることは誰もが経験するところです。

 そして、さらに想像力を逞しくすれば、もっと遡ることができて、自分を悠久の時の中に解放することさえできる。それを願って、彼は写真を撮り続けたように思えてきます。

 今なお多くの人に愛されている星野さんの遺業に感謝です。

 

 

 桜がシベを残して散っていきます。かわりに若葉が萌えようとしています。

 この交代劇も私は好きです。

 濃淡の桃色と若緑色が混在して活気ある様相を示し、梢を愛でる気持ちと、樹下に散り敷く花びらを惜しむ気持ちが交錯します。

 こんな複雑に絡み合った感情を、遠い昔から日本人は味わい尽くしてきました。

 

 桜花咲きかも散ると見るまでに

 誰かもここに見えて散り行く

    柿本人麻呂(万葉集巻12-3129)

 

 桜の花が咲いて散るのかと見るほどに、どういう人々であろうか。ここに美しく集まって、そして散り散りに去ってゆく。(窪田空穂訳)

 

 まさに、卒業、入学のシーズンです。その記念写真のバックに必ず写る桜花。

 明るさ、優しさ、懐かしさ、さみしさ、希望。「こんな美しい桜は初めてや」とか、「おばあちゃん、どうしてるかな」とか。目の前の自然から何かを連想している自分がいます。自然がずっとそばにいてくれることを、しみじみとありがたく思います。