こころあそびの記

日常に小さな感動を

袖すり合うも他生の縁

 

 満月が西の空にぼんやり浮かんでいました。雨が上がったことがうれしい朝でした。

 

 

 ぽっかり浮かんだ真っ白な雲が、北から南へ流れていきます。ちょっと肌寒さを覚えさせる晴天です。

 

 

 近くのお家のモッコウバラが咲き出しました。5月が近づいたのですね。

 

 

 仏像を拝むことについての続きです。

 

 ある人が事業がうまくいかず、せっせと阿弥陀様にお願いをしたのですが、好転のきざしがなかったといいます。

 半ば、諦めた頃に、突然、支援者が現れた。「なんだ、現世の方のほうがご利益あるじゃないか」と思ったというのです。

 こういう経験をしたとき、信心深い人なら、「それはね、阿弥陀様がその人に救済を頼んでくださったんですよ」と、説かれることでしょう。

 

 私も、子育て中によく願ったものです。絶対絶命です!今、お救いください、と。

 しかし、自分が思うようには救われなかった。

 それは、今から思えば、自分の傲慢さのせいだったのでしょう。

 それでも、今こうやって元気に過ごせているということは、救われている何よりの証拠だとやっと分かるようになりました。

 

 今朝の「朝晴れエッセー」に次のような投稿がありました。

 

 大学生の僕は、縁結びで有名な弥彦神社クロスバイクで出かけた。しかし、途中で転倒してケガをしたため帰りは電車に乗った。僕のクロスバイクを見ていたおじいさんが話しかけてくれて楽しく乗車時間を過ごした。降りるときも手伝ってくれたので、お礼を言おうとしたら、「お礼はいいよ。それより、もし他に困っている人を見かけたら、その人を助けてあげなさい」と言われた。

 こんな立派な人に出会えたのは、弥彦神社の御利益だろうか。彼女にはまだ出会えていませんが。

 

 というのものでした。この学生さんの素直さが、このご老人と出会わせ、学びを深めさせたと察します。

 こんな老人になれるように、精進しないといけないと思う年齢になりました。