こころあそびの記

日常に小さな感動を

2025年の夢

 

 さくらが終わったあとに咲く、この白い清楚な花はなんですか?

 さくらんぼ?

 街中にそんな木があるわけないし。

 惚れ惚れして足を止めました。

 

 

 辺りに目を凝らしてみると、枝の上が花盛りです。

 アラカシ、クヌギクスノキドウダンツツジ、カナメモチ。

 生まれたてのいのちが輝く季節です。

 

 

 さて、小学生の頃、なんで外国のニュースを放送するのかな?という素朴な疑問を持っていました。

 もちろん、その頃は国内ニュースに比べれば、極少ない数でした。

 それでも、子どもには、外国は遠い存在でしたから、報道の意味がわからずにいました。生活圏は、日本国内でしたから、それで充分ではないかと思っていたわけです。

 

 あれから、半世紀以上が経ち、今や、世界と日本の距離が驚くほど近くなりました。

 もう、日によっては、国内ニュースよりも世界のニュースの方が多いほどになりました。また、国内ニュースであっても、世界と無関係なものはなくなって、世界は一つということを考えざるを得ません。

 

 

 今朝のJアラートにしても、それから宮古島のヘリの墜落にしても国内だけでは済まされない。

 昔の世間狭い考え方は通用しなくなっています。常に地球規模で世界を俯瞰しなくてはなりません。

 とても、1970年の万博のスローガンである”人類の進歩と調和“に近づいたようには、思えない毎日です。

 

 2025年の大阪万国博は、2年後の今日、4月13日に始まるそうです。

 本日、岸田総理も出席されて、工事の無事を祈る鍬入れが行われました。

 「いのち輝く未来社会のデザイン」がテーマです。

 コロナ禍を経験した社会で、また、戦争の最中で、人々は「人とつながりたい」思いを強くしているはずです。

 でも、その気持ちは、人種や国によって全く同じとはいえないところが、難しい点です。ニュアンスに違いがあります。

 世界中の人の気持ちが一つに集約されるための落とし所を探るのことが、デザインする人に求められています。

 

 

 あと、二年。世界はどう変わっていくのでしょう。その時、どんな世の中になっているのでしょう。

 ただ一つ変わらないのは、日本人の精神ではないでしょうか。

 グローバルが苦手でもいい。古いといわれてもいい。確たる心のふるさとを持っていることが誇りです。

 外国からのお客さんをお迎えしたとき、一つでも、その心がお客さんにうまく伝わったら、世界の平和に小さな貢献ができるのではと、婆さんは儚い希望を持っています。