こころあそびの記

日常に小さな感動を

千玄室さま百歳おめでとうございます

 

 今朝の『らんまん』は「ヤブツバキ」で幕を閉じました。

 今の季節、お茶席には宗旦椿が活けられるのでしょうか。

 千宗旦が、花首が落ちた椿を床飾りにした逸話がある花です。お使いの小僧を叱らなかったのは、相手を思いやってのこと。

 その心が生きる場所がお茶席です。

 

 

 ところで、裏千家第十五代家元であった千玄室さんが今年、百歳をお迎えになりました。

 多方面から祝福が寄せられています。

 お祝いは総理大臣からも。「一盌からピースフルネスを」という平和外交への貢献が評価されて「総理大臣顕彰」が授与されました。

 にこやかに写真に収まっておられるお顔からは、推し量れないほど、心に葛藤を抱えておられることは、朝刊の連載記事「話の肖像画」や、『致知』の今月号の対談記事から察することができます。

 

 

 千利休を源流とする名家に生まれ、静かに豊かに人生を送るはずだったのに、戦争に巻き込まれたことから、知らなかった世界を知ることになります。

 特攻隊員として、今日か明日かと司令を待つのです。これほど残酷ないのちとの向き合い方はないでしょう。

 終戦後、生還した彼は、滅びたいのちの分も生きよう。それには、平和を訴えていくことだとして、残りのいのちを捧げることを決意したのです。

 

 現代の平和ぼけした世情に対して、戦争体験者として躊躇なく憂いを語っておられます。

 特に、この言葉には憤りを越えて、涙したと言います。

 「特攻隊はテロリストだ」。

 これを日本の大手メディアが記事にできる精神を、情けなく思っておられるのです。

 

 百田尚樹さんの『永遠の0』から言葉をお借りすると、「特攻前に家族に出した最後の手紙はどれも、怖い!とは書いていない。それは、家族への愛です。息子が辛い思いをして死んでいったという思いが残れば、それが後々まで、家族を苦しめることになるからです。」(私的要約)

 

 

 近頃、マスメディアはついに、去年から起こっている暴力事件を賛美する報道に傾いています。

 それで、いいのでしょうか。

 

 千玄室さんは、使命のために覚悟を持って散った同朋と常にご一緒に生きてこられたことでしょう。

 「和敬清寂」。利休の説いたこの言葉が、百歳の心境だそうです。

 和み、敬い、心清らかに。

 最後の「寂」は、うろたえるな。不動の信念を持って進めです。

 

 不穏な空気を容認する社会ではならないと思うのです。みんな、総論賛成。しかし、落とし穴を狙っている輩もいる。それに気づいて、世界平和に舵を切って欲しいと、百歳の老師は望んでおられるのではないでしょうか。