こころあそびの記

日常に小さな感動を

口が滑ると

 

 五分咲きのツツジが陽光を浴びて、満開までラストスパートの様相です。

 

 

 オオバコが見事に伸びて、逞しささえ感じさせる朝でした。

 

 

 さて、人は心が統一されているときばかりではなくて、喜怒哀楽入り混じっているのは、生きてる証拠です。

 たとえば、Aさんを見たとき。

 単純にかっこいいから好きという感想を持つ心の中には、ライバルと見てしまう自分もいるでしょう。

 体調によっては、とんでもない表現をしてしまうことさえありえます。

 

 

 『正論』に上野千鶴子さんのことが書いてありました。

 中国語新聞に、「独身主義教主上野千鶴子早已結婚」と報じられたというのです。

 ひょっとしたら、彼女も滑らした口から、人生が思わぬ方向に展開してしまった一人かもしれないなぁと思った次第です。

 

 小学生の頃。こまっしゃくれの子どもだった私は、叔母と母が、適齢期のいとこの姉さんの縁談話をしているのを、聞くともなく聞いていました。

 

 「電話のかけ方でお勤めしてたかどうかわかるから、(お勤めはさせてはいけない)」。

 「世間を知らないうちに嫁に出さないかん」。

 などなど、現在には通用しない言葉が話されていました。しかし、それが60年前の嫁入りの条件でした。

 そんな風に姉から教えてもらった母ですから、私が進学校に入学するやいなや、もう勉強したらいかん、と言ったのです。

 おかげで、楽チンな高校生活を送ってしまったことを、後々後悔することになろうとは。

 でも、母のご意向は金でした。彼女の果たすべき最大の仕事は、早く嫁に出すことでした。当時は、それが当たり前でしたから、誰も責めることはできません。

 大人になって、そんな環境を呪うかといえば、全くそれはありません。むしろ、母はよく守ってくれたと思っています。

 

 

 ところが、上野千鶴子さんは、そういう自己犠牲的な母親の姿を気の毒に思われたのでしょう。

 つまり私なんかよりよほど優しい心根をお持ちだったのではないかと拝察します。

 だから、口が滑ったのではないですか。

 母親の献身によって成り立つ日本の家父長制のことを憂いたのではないでしょうか。何とかしないといけないという強い意志をお持ちだったのでしょう。

 

 いずれにしても、人生の最終盤で、結婚入籍されたことは、喜ばしいことでした。お幸な老後でありますように。

 

 その上で、じゃあ、「おひとり様」ブームという大騒ぎは何だったのでしょう。まともに乗っかって、おひとり様を貫いた人はおられないのでしょうか。

 

 ものを発表することは怖いことです。そのとき良かったとしても、評価は時代と共に変わります。

 今、非婚という問題があります。経済的事情もあるでしょう。でも、それと同じくらいかそれ以上に、娘に束縛がなく幸せすぎて、わざわざ結婚する気持ちにならないとしたら・・くわばらくわばら。