こころあそびの記

日常に小さな感動を

再びの『應化地蔵尊』

 

 新学期。先生が家庭訪問されるため、授業は昼まで。中学生の孫から昼過ぎに帰ってくると言い渡されました。

 それなら、図書館で借りたままになっている本の返却ついでに、お団子でも買ってこようと思いたちました。

 うちから図書館に行くには、裏山を越えなければなりませんので、いいリハビリです。

 途中、カラスの大喧嘩を目撃してしまいました。弱い一羽を元気な二羽が寄ってたかって、つついているのです。なんてことを。弱肉強食というべきか、性悪のカラスというべきか。

 心萎える事件でした。

 

 

 図書館はあいにくの休館日でしたので、返却ポストに本を投入。借金を返したように晴れ晴れとした気持ちになって、図書館前の団子屋さんで草餅と柏餅をゲットしました。

 

 帰りに『應化地蔵尊』を通りかかったら、さっきのおばあさんが枯れ葉を集めてらっしゃるところでした。

 “さっき”というのは来るときにも、見かけたからです。

 その時は、お地蔵さんの前で、一人の男性になにやら説明されているところでした。

 

 

 「こんにちは」と思い切ってお声かけしてみました。

 「このお地蔵さんは、ずっとここにあったものなのですか?」

 「いえ。元はこの団地が建つ前の古い民家の庭にありました。団地が建つことになったとき、お寺さんに訊いたら、魂抜いて捨てることもできるといわれました。でも、そんなことできないでしょ。だから、団地に頼んでこの場所に祀らせてもらったのです」

 「それ以来、お世話してくださってるのですか?」

 近くに止めてあるシルバーカーにゴミ袋やなんか掃除道具一式が載っています。

 「失礼ですが、おいくつですか?」

 「87歳です。主人はこないだ亡くなったし、私もいつまでもできないと思って、さっき、この団地の会長さんにあとを頼んでいたのです」。

 

 だからといって、話はスムーズではなさそうです。

 このお地蔵さんをどうすべきかと住民に問うたところ、アンケート結果は大方、撤去に賛成だったといいます。

 「若い人にはわからないことですね」。

 かく言う私も、この年になって、ようやく少し分かるようになったことは、たくさんあります。

 若い人が、お地蔵さんに興味がないのは、仕方がないと思われます。

 しかし、そんな彼らも、年齢を経るごとに年長者のしていたことを真似るようになり、いずれはその意味を理解するようになるはずと期待します。

 お地蔵さんは、ポンプ室の横におられます。

 「もう年やから、そうたびたびはできませんけど、来たら、このポンプ室ともう一つあるポンプ室周りの掃除もします。水回りは、きれいにしておかないとね」。

 

 

『應化地蔵尊』。

 「應化」とは、仏や菩薩が世の人を救うために相手の性質、力量に応じて姿を変えて現れることだそうです。

 爽やかな春風の中で、「應化地蔵尊」がおばあさんに変身されて、私を諭してくださったように思ったことでした。