昨夜の大雨にもめげずに、大きな花を開いた泰山木。
赤い紫陽花。
こんな淡彩も美しいです。
昨日、予想通りに梅雨入りの発表がありました。
前線の停滞に台風。こんな予報に付き合わなくてはならない日々が続きます。
そんなうっとうしさを払拭するように、あちらこちらにこの季節の花が咲いています。
雨に濡れた花々を見るたびに、なんだかんだ言っても、人間だって、大自然の中で生かされてることを教えてくれている気がします。
近頃、愛犬にぬいぐるみを取りに走らせては、犬用のお菓子をあげる遊びをしています。
私のポケットにお菓子が入ってる間は喜んでぬいぐるみを取ってきますが、空っぽになった途端、走らなくなります。
犬はアホな方がかわいいというのが私の持論なのですが、この時ばかりは賢さに驚かされます。
動物は賢い。
よく似た話が報道されていました。
それは、奈良の鹿が「首振り」をしなくなったというものです。
シカ煎餅を買うやいなや、大群でまとわりついてきて、「首振り」をしてきます。ちょうだい、ちょうだいの合図です。
鹿の猛アタックに、泣き出す子どもがいるほどの名演技でした。
それが、コロナ禍の間、観光客が減って、お煎餅をもらう機会が減りました。
そのため、忘れてしまったのかな?
訪問者が増えて、しか煎餅がもらえると分かったら、また、「首振り」を始めるはずです。
この素敵な絵は大形先生の作品です。写真からおこされたみたいです。
この淡い彩色が上品で気に入っています。
どんなものもジャマをしない優しさがあるように思います。
「鹿」という字は”長い角を持った鹿の形をかたどった“とされます。
じゃあ、「麗」は。その角を美しく飾った鹿の様子だとか。
漢字の成り立ちから、鹿と人間の関係が古くから続いていることを思い、興味の尽きないことです。
また、 「鹿茸(ろくじょう)」という生薬があります。
マンシュウジカの雄のまだ角化していない幼角です。
昔、奈良に行ったとき、鹿の頭を撫でてみて気づいたことがありました。
角袋が温かいことです。その部分の成長が著しいことを、当てた手から感じ取った次第です。それ以来、鹿茸は忘れられない生薬になりました。
鹿茸は助陽の働きがある生薬です。陽の不足を補います。
陽はどこを出所にしているかというと、東洋医学では「腎」とされます。
「腎」なんてお水の場所で、陽とは関係なさそうですが、実は腎は体のボイラーの役目を果たしています。
寒がりの人、手足が冷える人、元気がない人の熱量不足は、腎に発端があるかもしれません。
腎のボイラーが弱いと、体が温められず、脾胃が冷えて食欲不振や軟便を呈します。
因みに、お年寄りの陰虚火旺の人は禁忌です。
ところで、東洋医学は、アナログであるところが楽しい勉強です。
コンピューターの登場で、今までの漢方医の診断は、機械が置き換わるのではないかといわれて久しいことですが、未だ実現していません。
chatGPTならどうか。
次々に現れる先進技術が、従来の学習形態を変えようとしています。
しかし、目を見て話さなければ分からないことが人間に残されている限り、東洋医学の神髄は消えないように思います。
それは、人間であることの根幹です。
犬や鹿がこちらの顔色を察したような動物の感覚です。
それとも、そんなことも機械任せにできる日が来るのでしょうか。
もっとも、その時代には、異次元の新人類が誕生しているのかもしれませんが。