こころあそびの記

日常に小さな感動を

ありふれた幸せ

 

 「雑巾はもっと固く絞りなさい」

 「扉はもっと静かに閉めなさい」

 「後ろ指、指されるようなことしてはいけません」

 などなど、母に言われた小言は数知れず、それでも、今となっては殆ど忘れてしまったような。

 つらくて泣きながら、草抜きした日のことも懐かしむばかりになっています。

 この年齢になって思うことは、「ふつうに育つこと」が、どれほど大切かということです。

 ふつうとは、ごくありふれたどこにでもある育ち方です。

 

 

 それは、祖父母に育てられた父母の身体の奥の方に染みていることを、また、何気なく子どもに伝達している様が、”ふつう“と云えるように思います。

 複雑化した現代社会に置いて、何が一番大切かと訊ねられたら、「ふつうに育つ」ことだと確信します。

 言動が浮き草のように見えてしまうのは、根っこがない証。

 そう感じてしまうことが多くなった今だから、こんな事思うのかもしれません。

   

  『叱られて』

   叱られて

   叱られて

   あの子は町までお使いに

   この子は坊やをねんねしな

   夕べさみしい村はずれ

   こんときつねが

   なきゃせぬか

 

 こんな短調なメロディーを受け入れられるのも、日本昔話のあたたかさではないでしょうか。

 

 

 ところで、話は突然変わりますが、今日はオリックスの宮城君が先発の日です。

 昨晩からスマホと格闘して、ようやく、最後方の席をゲットできました。

 喜び勇んで新聞のラテ欄をみましたら、なんと!NHKで放送あるじゃないですか。

 娘に報告したら、「行った方がええよ」と言ってくれて、一安心。気持ちを持ち直して出発です。

 ドームは”嵐“のコンサート以来です。行けるかな?も含めて楽しみなことです。

 

 

 宮城君がどんな人なのか知らないのですが、まだ21歳の若さ。

 40歳まで投げると仰る言葉を信じれば、私の残りの人生とお付き合いしてくださって余りあるかな。

 応援したくなるのは、彼が「ふつう」に愛されて育ったことを感じさせるからです。

 懸命に生きたおじいちゃんやおばあちゃんがのことを、どこかにうっすら感じていることがふつうのプライドを醸成するのだと思っています。

 どんなにつらくても生きていけるのは、誰かの応援が聞こえるから。と、信じて、宮城君の応援に、行ってきま~す(笑)