デパートをうろうろしてたら、桐生市から”座繰り“の実演販売に来られていました。
”座繰り“とは、座って繭から糸を手繰りながら糸枠に巻き取ることです。
たまたま、人通りがなかったのでお声かけしてみたのは、娘に蚕の餌やりの話を聞いていたからです。
彼女がお手伝いしている幼稚園では蚕を飼っていて、マルベリーの葉っぱの補給に忙しいそうです。
あれほど美しい糸を吐き出すのですから、食欲は推して知るべしです。
「そうです。養蚕が盛んなところです」
「だいぶん減りましたけど。うちは、家族全員でやってます」
その方は、私と同じ世代と見ました。娘さんやそのご家族も総出で、蚕の世話をされています。
おなべの中には、数個の蚕の繭がありました。糸繰りされてくるくる回っている繭から糸がはがされるにつれ、虫が見えてきます。
「かわいそうに思ってしまいますね」
「それは、すべてのものに共通することでしょ」
それまでの和やかなお顔に一瞬、厳しさを見ました。すべての生き物のおかげで生かしてもらっていることを、その瞬間思い出したことです。
「どうぞ、触ってみて下さい」
「えっ、いいんですか?」
と触らせてもらった絹糸は、思いのほか固くて驚きました。
「固いものなんですね」
「蚕が身を守る鎧ですからね」
そうなんだ。
必死で身を守っていることを教えられ、また一つ、気づきを頂きました。
「この固い糸のまま織ればオーガンジーになります」
展示されていた張りのあるブラウス生地は、糸繰りしたてのものだったのです。
おいとましたものの、からからと音を立てて糸枠にきれいに巻き取られていく様子が目に焼き付いています。
私は、もともと、機織りに興味があるほうですから、いい出会いであったと思います。
イッチョカミの私がなぜ、機織りを断念したかというと、それは、あの根気です。それも、静かな根気です。イラチの自分には無理でした。
品質の高い生糸の生産はもちろんのこと、その前段階の養蚕にも、日本人ならではの細やかさがあったことは想像できます。
だから、世界の絹産業の発展への貢献が評価されたのです。
私が小学生の頃、父はアメリカ視察の土産に、絹のスカーフを持って行きました。日本といえば絹織物という時代でした。
まぶしいくらい真っ白い生地に舞妓さんが描かれていたものを、一枚だけ宝箱に仕舞っていたのですが、長い歳月のうちに消えてしまいました。
ところで、桑の葉の効用をご存知でしょうか。
いっとき、京丹後から取り寄せていたことがありました。
身体の中であの艶やかな絹糸に変えられる蚕はまさに天の虫です。
その栄養源が桑です。
カルシウムは牛乳の二十倍、食物繊維はゴボウの六倍、カリウムはほうれん草の三倍。その他、鉄分、ビタミン、ファイトケミカルとも豊富に含まれます。
かいこさんを見てから、また取り寄せたくてうずうずしているのですが、お財布と相談するとストップがかかってしまうのです。