西洋画のような色合いの水面。
「ついこないだまで青天井を映していた水鏡がいつの間にか青々とした稲の波に埋もれている。」(今朝の産経抄より)
プロの文章に誘われて、アリーナにわんこ連れで田圃を見に行きました。
本当だ。あんなにか細かった早苗が、青々と水面を覆っています。
今日は七十二候「半夏生」(はんげしょうず)です。
夏至から数えて11日目。農家さんでは、この日までに田植えを終えて一段落。
大阪はタコを、四国はうどんを、福井はサバを食べて慰労する日ともいわれます。お疲れさまでした。
池のほとりの叢に半夏生(はんげしょう)が群れて咲いていました。
葉っぱが半分白くなっていることから半化粧。ドクダミ科ということで、ドクダミの苞と同じように虫を誘うために白く変色させてはいますが、花期が終われば緑色に戻って光合成に精を出すとは。生きることに真剣味を感じます。
ところで、本日の「半夏生」は”はんげしょうず“と読んで、半夏が生える頃という意味になりますから、ややこしいことです。
半夏(はんげ)はカラスビシャク(烏柄杓)のこと。
生薬では、この植物の塊茎を使います。
みぞおちのつかえに「半夏瀉心湯」。
のどのつかえに「半夏厚朴湯」。
めまいに「半夏白朮天麻湯」。
これらの漢方薬には、半夏が持つ辛散温燥の働きを期待して配合されています。
注意すべきは、この生薬が有毒であることです。ですから、一般には炮製したものを使います。
先人が工夫を重ねてきたとはいえ、薬は長期間漫然と飲まないようにするほうがいいことが分かります。
朝、NHKテレビに「サラメシ」に続いて「Dearにっぽん」という番組が始まりました。
五年間、母親に会っていない青年の実録でした。
どうしてそんなことになってしまったのかという部分は見落としましたが、彼が8歳で大好きな父親を亡くしたことに、その発端があると感じました。
自分を理解してくれる人間がこの世にいないという絶望感ほど、人を悲しませるものはありません。
経緯は分かりませんが、彼は、とある外国人アパートの清掃に関わり始めます。
劣悪な環境に住む人々の役に立つことで、自分の居場所を見つけます。
受け入れてくれる環境が見つかったのです。
そのことで、彼は、ふと、我に帰ることが叶ったのでしょう。お母さんを五年ぶりに訪ねることができました。
愛される実感のなんと貴いことかと思います。
近頃の犯罪の多くは、”愛“が欠けてしまったことから発生しているように見えます。
たとえ、警察や児相が間に入ったとしても、他人が口出せる範囲はしれています。
「ご家族とよく相談して」とか、
「困ったらまた相談に来て」とか。
そこまでしか、介入できません。
当人たちに気づきがなくとも、本当は親に愛されたいのです。
揉めに揉めても、いつかその親を自分が選んで生まれてきたことを知る日が来ます。
「ママ、僕はママに会いたくて生まれてきたんだよ」
憎しみの呪縛から解放される日は必ず来ると信じています。必ずしもこの世である必要はありません。”いつか“でいいのです。