きのう、大学で鷹匠を見かけました。
図書館の前を通りかかったとき、男性が板切れをカンカンカンと叩いておられたので、もしや?と思いました。
ほどなく、一羽の鷹が男性の腕に帰ってきたので、その勘は当たりました。
「カラス退治ですか?」と、お尋ねしたら、頷かれました。
上空を見ると、カラスが十数羽、けたたましく鳴きながら旋回しています。仲間の危険を察知して、集まってきたのではないでしょうか。
あの集団に立ち向かえる鷹の強さに感服したことです。
ところで、先日行った兵庫陶芸美術館の庭に、カツラが何本か植わってました。
しっとりと雨に打たれた立ち姿が、一段と美しく見えたことです。
けやきが好き、クスノキがいいなと、知ったかぶりして木に惚れ込んできましたが、今は、カツラがお気に入りです。
カツラは漢字で「桂」と書くということは、優れていると認められた木ということでしょうか。
「土」はもと土饅頭の形。その土地神さまのお社を表すものと云われます。だとすると、これが二つ重なった形は、ありがたいにちがいありません。
ちなみに、「圭」という字は古代中国では、宝石(翡翠)で作った玉器のことだとか。
やっぱり、土ふたつは恐るべし。
昔、”佳洋“さんというお名前のお医者さんが、「この名前は高野山の偉いお坊さんにつけてもらったもの。いい名前やそうです」と仰ったのを忘れもしません。
その時から、「佳」のイメージは、私の中で優良字なのです。
カツラは、まず、樹形が美しい。
真っ直ぐに天に伸びる姿が好まれて、最近では、シンボルツリーに採用されているお宅も見かけます。
玄関前に、広く空間をとって植えてあると、ちょっと立ち止まって見上げ、どんな方がお住まいなのだろうと想像してしまいます。
葉っぱの形はハート型。
その色は優しい薄緑色。
秋の黄葉の色。
落葉の香り。
一本で何度楽しめることでしょう。
中国の古代神話では、月にカツラが生えていることになっていますが、中国の桂は木犀だそうですから、別物です。
しかし、月と桂の話は、平安時代以前に日本にも伝わっていたようで、万葉集に詠まれています。
目には見て 手にはとらえぬ
月の内の桂のごとき妹をいかにせむ
万葉人の想像力にはロマンと教養があります。手に届かない思いを月の桂と表現するなんて。
さて、桂は水脈のあるところに生えるといわれる日本原産の樹木です。
兵庫県香美町和池の樹齢1000年の大カツラは、それを体現しています。根元を流れる湧水は一日5000トンと云われています。
見に行きたいけど、足元に自信がないし、熊が出るといわれるとますます一歩が踏み出せずにいます。
そんなとき浮かんだアイデアが『こころ旅』へのお手紙です。巨樹を訪ねるシーンがセレクトされているのを見る度に思ってしまいます。
でも、あの番組は思い出の場所でないとだめなんですよね。
頭で描く夢の思い出の場所ではだめ。
どなたか正平さんにお便りしてくださらないかな。