こころあそびの記

日常に小さな感動を

やり直し

 

 昨夕、雲が美しいなぁと思っていたら、今日は曇天です。

 

 きのうのブログは支離滅裂でお恥ずかしいことしてしまいました。

 実は、朝一番の映画館の館内が寒すぎて、体調を崩しました。

 映画館に行くときは寒さ対策が大切と分かっていましたから、下半身はしっかりタイツとパンツで防寒していたのですが、出がけに上着を忘れたのです。

 それで、頭痛がしてきて、やばい!と思ったのに、無理して最後まで観てしまいました。

 娘に、そんなときは退出したらいいのに、と笑われる始末。

 もう一度、観に来るなんてできないよ。老人はケチンボです。(笑)

 

 

 ですから、昨日考えが纏まらなかったところを、ゆっくり考えてみようと思う次第です。

 

 人間の成長は三段階あると思っています。

 先ずは、子供時代。この段階は、親や、周りの人に健康に育ちますようにと祈られます。当の本人は、そんなことは眼中になく、真正面から人生に向き合っているつもりです。

 二段目は、自立を果たした壮年期。

 子育てと社会貢献で、人生の華が咲く時です。必要とあれば、医療の力を借りて大切な体を自分で守らねばなりません。諸事に忙殺される日々です。

 そのあとに、老年期がやってきます。

 肉体の衰えを自覚せずにおれない現実が、何かをゆっくり考える余裕をもたらすシーズンです。

 

 各段階において、考えることは違うでしょうから、当然、この映画を見た感想も人それぞれだと感じます。

 つまり、その人のこだわりの部分が明らかにされるように思うのです。

 

 

 映画の題名が、1937年に出版された吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』という本のタイトルそのままであるということは、宮崎駿監督自身が、この普遍的で重大なテーマの追求こそが、最終作品にかけるに足ることなのだと思われてきたからでしょう。

 (まだまだ最終作品ではないと思っています。)

 映画では、この世に生きるいのちを、ぽっと出たものではなく、過去から繋がる長いスパンで捉えようとしていました。そこには、“縁”が大きなウエートを占めていることも画かれていました。

 

 そして、時に、私たちは、ちょっとした瞬間に、目の前に移りゆく景色の奥に、真実や過去とのつながりが浮かび上がってくる経験をします。

 この景色見たことある、とか。

 この場面はいつかと同じ、とか。

 ということは、ひょっとしたら、誰もが「どう生きるか」を解く鍵を持たされているとも云えます。

 

 

 映画の途中で出てきた年寄りの人形たちは人生の守護神です。「決して触ってはいけない」という台詞が、お守りの証です。

 それは、おじさんやおばあさん、更に、父や母の姿でした。

 縁のあった人たちに、護られて生かされているという、昔からいい古されてきた当たり前のことに行き着いてしまったのは、老年期の私だからでしょうか。

 なぜ生きるのか。

 その答えが、多生の縁で生かされているからだとしたら、「どう生きるか」は、今日一日をありがたく生きるしかないように思います。

 

 

 護られています。

 気張らんといきましょう。