アントニオ猪木さんの訃報が流れました。ご冥福をお祈りいたします。
プロレスは戦後の混乱期に男性ばかりか女性にまで元気を与えたことは、周知のこと。アントニオさんはその少し後、力道山亡きあとを精一杯生きられました。
師匠が日本中に元気をもたらしたように、自分もやらねばという気概で人生を貫かれたように見えます。
彼のように、波乱万丈の生き方を与えられる、あるいは自分から選ぶ人があります。そんな人は、普通に生きる私たちに何かを残してくれます。
できそうもないことに足を踏み入れ実行して、それを見た凡庸に生きる人たちに夢を見させる。
なせばなる。とは、云うものの、踏み出せないのが普通人です。
壁を突破できるのは天から拝命した使命があり、選ばれし逸材です。
プロレスを見る機会がそれほどなかった私にとっては、特に、最後の難病との闘いが彼の本当の姿を物語らせたように思えてなりません。
お疲れ様でした。
確かに、スターのお話には心躍ります。でも、そんな巨星物語でなくとも、身の回りにはキラッと光る星が散りばめられていることに気づくことも、生きる楽しみの一つです。
今日も、いいお話を小耳にはさみました。
待合室で隣り合った高齢者がお話しています。
「私ね、こないだ夜中に具合悪くなって、動けなくなりましてん」
「どうしはったん」
「夜中2時やったんやけど先生に電話しましてん」
「電話いうても、(その時間なら)通じませんやん」
「それが、悪なったらいつでも電話しといでやって、携帯番号教えてもらってたから、携帯に(電話)しましてん」
「お一人住まい?あんたとこ、遠いやん」
「そうですねん。そやのに、今から行くからじっとしときや、言うて来てくれはったんです」
「へぇ!普通は救急車呼びなさいやよ」
「ほんまに優しい先生です」
体験談を話す人は、この事を伝えるという大仕事を果たしたくて、うずうずされています。
聞き方は、相づち打ちながら、心が和んでいったことが伝わってきました。
誰かひとりの善行が波及して縁のある人たちを潤していく。これが、私たちの日常に転がっています。
あほらしい。と思わず、ちょっと耳を傾けるだけで、自分を幸せにできます。そんな瞬間に立ち会わせていただけるのも、どなたかのご配慮なのだと思う年になりました。