こころあそびの記

日常に小さな感動を

生まれた理由

 

 暑くなるまでに、旧の西国街道を西に歩きました。

 途中、娘の同級生のお寺、浄圓寺を通りました。何回か書きましたように、小学生の低学年から難病を発病した彼を、傍で見てきた同級生たち。

 彼のおかげで、それはそれは、たくさんの勉強をさせてもらったことでしょう。

 今では、その病気も癒えて、立派な跡継ぎになり、お寺の若院という立場で活躍されていることを耳にする度に、うれしいことです。

 

 「人生で最も重要な二つの日は

  生まれた日と

  その理由を見いだした日だ

      マーク・トウェイン

 

 お寺の前の掲示板を見て、この言葉はきっと彼が選んだに違いないと思いました。

 つらかった十代。生かされている意味を、悲しいくらいに追求したはずです。

 かつての同級生たちは今でも、仲良しこよし。素晴らしい仲間たちです。

 

 

 これも、以前からの宿題です。

 中学時代の恩師のお宅。通りかかるたびに、呼び鈴を押す勇気が出なくて、心を痛めながらスルーしてきました。

 今日こそはと思いながら、やはり決心がつかずに、一度は通り過ぎました。しかし、この居心地悪い気持ちが続くのは嫌なので、勝手口に回ってみました。

 そこに座布団が二枚干されているのを見て、やっと意を決することができました。

 呼び鈴は懐かしい音がしました。

 しばらくして、ご子息が顔を出して下さいましたので、ながらくのご無沙汰をお詫びしつつ、先生のご様子を伺いました。

 先生は94歳におなりで、ご健在と聞き安堵したあとに、施設に入って今はここに居ないと告げられました。 

 「では、そちらの施設の方に伺ってみます」と申しましたら、「残念ですが、もう分からないと思います」と。

 

 先生はご存命だったのです。

 どうして、十年前に呼び鈴が押せなかったのか。弱い自分を悔いました。

 中学二年当時の私は、家庭内のゴタゴタに巻き込まれて、勉学の意欲をなくしていました。

 そんな私を励まし、はっぱかけて下さった恩人です。

 あと十年早く呼び鈴を押していたら、先生にお礼が言えたのに。

 分かってくださらなくてもいい。

 午後からは、お手紙書いて届けよう。そう思っています。

 

 

 認知症という病名は近年のものです。昔は、だれでも年をとったら惚けるものだと、普通に受け入れていました。

 それを、病気じゃないのに病気と認定したものですから、話がややこしいことになってきました。

 

 生まれる、成長する、枯れる。

 この循環は自然のことです。

 

 最近、筋トレをしないスポーツ選手が増えているといいます。

 体は全体を使って動かすのに、一カ所だけ強い筋肉にすることでバランスが崩れるとは、古武術家の甲野善紀さんもおっしゃていることです。

 

 認知症の薬もなんとなく、それと同じ危なっかしさを感じます。

 体が自然に行うことにはわけがあると思っています。

 枯れていこう、休ませてよ。と思っているところに、もっと伝達物質を出せ!と命じる薬が入ってきたら、体は混乱するのではないでしょうか。

 服薬して、かえって精神が落ち着かなくなったり、脳出血したりと、副作用に思えることは、どこか身体の拒否反応のように見えます。

 

 どうしてほしいかは、そうなってみないと、私も分かりません。

 みんなが通る道なら、みんなで通れば怖くないと、まいりましょう。

 いのちがあるということは、誰かが見守ってくれているということ。それは、介護者のうつつの世界には見えなくて、本人にだけは見えているものかもしれません。