昨日の夕刻、娘と孫が「アリーナに散歩に行かない?」と誘ってきました。珍しいこと。
その魂胆は、私の車にわんこを載せて一緒に連れて行くためにきまっています。
6時に近くなれば、老体はすでに就寝に向かっています。それに逆らって、しかも彼女らに体よく使われていると分かっていながら、「ホイホイ」と重い腰を上げてしまう婆さんでした。
アリーナから見える大阪市内の雨柱を娘たちがうれしそうに撮影しています。その姿を見てるだけで、私にとってはなごみの時間となりました。
けさの産経抄の冒頭は曾野綾子さんがお母さんに躾られた言葉から始まっていました。
「ちゃんと襖を閉めなさい」。
同じように、口喧しい母に育てられた経験から、私は曾野さんの愛読者でした。
彼女は、三浦朱門さんと結婚してからの緩い生活がどれほど心地よいものかと報告されています。
できるときにやればいい。
作品の中のそんな言葉をしめた!と真に受けた私は、ルーズな体たらくになりました。でも、当時の追い込まれた私に逃げ口を作って下さった曾野さんには感謝しています。道標のお一人であったことは確かなことです。
そして、曾野さんとは、もう一つ共通点がありました。それは、父親不在という家庭環境です。
同じ境遇におられることがうれしい。子どもだった私の励みでした。
ところで、父親とは、女の子が初めて出会う異性だから、その関係の良し悪しが、娘の男性観を決めるといわれます。
そういえば、気のいいボンボン育ちだった父親のせいか、私は男らしさが全くわかりません。
反対に、“俺は男だ”というお父様のもとで、観察眼を磨かれたのが、向田邦子さんです。
『父の詫び状』の冒頭部分で、「家族の靴の脱ぎ方揃え方にはひどくうるさい」父と、書いておられます。
そうなったのは、父親の顔も知らずに育ち、母親が細々と針仕事をして生計をたて、物心ついたときから、いつも親戚や知人の家の間借り生活であったせいだと周りから知らされます。
お母様がそのあたりをうまく取りなせる方であったところがすごいと思いました。お父様に引けを取らない女の中の女でいらしたのでしょう。
「主人、元気で留守がいい」。
そんな軽口をたたかれる存在の父親ですが、子どもの成長には欠かせないと思っています。
小説家、百田尚紀さんがよく、「僕は父親を尊敬している」と仰います。
お父様は大阪市水道局にお勤めで、毎日補修工事をされていたそうです。
地道にて働いて働いて勤め上げたことで、子どもたちを大学まで進学させたと伺っています。
普通に育つ。とはそういうことだと思っています。
家庭の事情はそれぞれ違いますが、うちの親は懸命に生き抜いた、と子どもに感じてもらえたら、それが子どもへの何よりのエールになります。
生物として存続するための真実の一つかと思います。