こころあそびの記

日常に小さな感動を

重陽の節句

 

 朝刊の記事。「毛生え薬」ならぬ「歯生え薬」という文字に目が留まりました。

 朝ボケで“毛”が“歯”に見えるのかと思いましたが、何度確かめても「歯生え薬」でした。

 なんでも、歯の成長を抑制するタンパク質を抑制する薬だとか。ということは、下手をするとドラキュラ?と独り朝から笑わしてもらいました。

 開発したベンチャー企業家の着眼点が素晴らしいです。成長期にある子どもや、事情で歯をなくした人には朗報です。

 でも、歯の芽がない老人には・・

 

 

 今日は九月九日、重陽節句です。

 中国では奇数を“陽数”とします。その最大数である“九”が重なるから重陽

 三月三日の桃の節句

 五月五日の端午の節句

 七月七日の七夕。

 

 陽の数が揃うのだから、お祝いするのかと思いきや、これらの日は邪気払いの行事が行われます。

 それは、気が強すぎると考えたからかもしれません。

 足りなければ補うことができますが、余分な気は邪になります。

 

 邪気払いのために、菊を飾ります。菊の花は古来から邪気を払うといわれるからです。

 

 面白い風習としては、「登高」があります。

 この日は、家族や友人とともに小高い丘や高楼に上り、菊酒を酌み交わして、長寿を祈ります。

 中国に倣って、日本でも奈良時代から広く行われたらしいですから、今日の散歩の目的地は決まりです。

 

 杜甫の晩年の名作「登高」。

 「独り台に登る」で終わる漢詩には悲壮感が滲んでいます。

 漢詩はなぜこのような寂しさややるせなさを表現するものが多いのかといつも思います。

 それは、科挙制度などのお国の事情からなのでしょうか。

 それとも、漢字表現がそちらに向いているからでしょうか。

 

 

 難解な漢詩よりも、普通の情景が詠われるもののほうが好きです。

 杜牧の作品なんかで、中国の農村風景を想像するくらいが、私には丁度いいです。

 千里中央のラーメン屋さんの壁に書いてありましたでしょ。

 「千里鶯啼緑映紅(千里鶯啼いて、緑紅を映ず)」と。

 あのお店なくなって、ちょっとさびしいかな。