こころあそびの記

日常に小さな感動を

臈たける

 

 昨日までとは明らかに違う雲です。

 ザーっとは来なかったのですが、どこかで降ってる雨粒が吹き流されてパラパラと。慌てて洗濯物を取り入れたのに、青空が戻ってやれやれでした。

 

 

 先日の「花梨の会」で、「老」という漢字について、質問がありました。

 「土に(カタカナの)ノで、私は”頭“を表しているように思います」と持論を述べて下さったのは、例によって物知りのKさんです。

 早速、漢和辞典を引いてみましたらこの部分は「おいかんむり」というそうです。

 

 漢字の成り立ちに六種類(六書)ありまして、この「おいかんむり」は象形文字というシンプルに形を象ったことからできた漢字です。

 写真は角川書店の「新字源」の「老」の項です。

 「こしを曲げて杖をつき頭髪を長く伸ばした人の形からとしよりの意を表す」と書いてあります。

 

 

 篆書で、わかりやすいものを臈探しましたら、確かに頭髪を垂らして腰を曲げ、杖をついてる感じが出てます。

 当たり前とはいえ、老人の特徴が古代から変わらないことに笑えました。

 ただ一つ抗っているところは、髪の毛でしょうか。

 今頃は、伸び放題にしている人など見あたりません。当初「染めたらガンになる」といわれた液剤も、次々に改良されて、「白髪染め」から「おしゃれ染め」へ。今は、万人が染める時代になりました。

 実のところは、美容業界の危機感と、女性の美への欲求とがうまく合致した結果なのかもしれませんが、まぁ、ばっちいより美しい方がいいに決まっていますから、今のところ、美容業界に軍配が上がっています。

 それでも、次の一手は考えておかなければならないとは厳しいことです。

 

 ところで、ハーバード大学がまとめた幸せの法則に目が止まりました。「心を一つにできるハートウォーミングな人間関係を持ち続けること」と。

 美しい訳語ですが、交際術には上手下手がありますから、自分に対しても、人に対しても、一つになることを無理強いすれば、どこかの運動部みたいな事件になります。

 こういう幸せ論を見ると、かえって、人間のなんと傷つきやすいことかという思いを深くします。

 自分の不甲斐なさすぎを嘆いたり、他人のひとことが刺さったまま抜けなかったりするのが人間です。

 だから、方法論に救いを求めるのではなく、自分が幸せでいられるような経験を積み重ねていくのが大切です。自分が幸せに感じるのはこんな時、という自分だけの幸せ論。

 

 

 私は、小さい時から一人遊びが好きでしたから、いまでも、人とうまく交われません。それで、ええやんか。そう開き直れるのが臈たける者の気楽なところです。