こころあそびの記

日常に小さな感動を

スイートポテトと労研饅頭

 

 今日はハロウィンなんですってね。

 テレビで、三十代と思われるアナウンサーが、「僕らの時代はお菓子が貰えるといえば、地蔵盆でしたけどね」なんて。ホンマ?

 台本通りに言えて良かったね、とは意地悪ばあさんの独り言。

 八月、地蔵盆の飾り付けをしたお地蔵さんを見かけると、あぁ、この町の高齢者はがんばってくださっているなと思います。活躍の場があるのは健康の秘訣。一年に一回というのも、年寄りにはちょうど良いサイクルです。

 

 

 倉敷のお話を続けます。

 倉敷といえば大原美術館です。

 出発前に申し込んでおいた「モーニングツアー」に参加しました。

 学芸員のお兄さんが、高橋大輔そっくりで、そればかり気になる私は、彼を見ないようにして鑑賞しました。

 

 大原孫三郎の支援を受けた児島虎次郎が買い付けたという『万有は死に帰す されど神の愛は万有を蘇らしめん』という大作が壁面いっぱいに飾られていました。

 キリストの教えをもとに描かれています。向かって左側の絵は業火に喘ぐ人々です。右側は光さして虹が出て、子どもたちが花輪を作って遊んでいるところ。

 そして真ん中の絵は、左の状況から右へ遷移するきっかけとなるノアの方舟の上で、白鳩に希望を求める人たちが描かれています。

 題名に記された「死と愛」。

 それは、宗教の枠をこえた普遍的テーマです。

 作者のフレデリックは児島虎次郎の要望を受け入れ、25年かけて完成に漕ぎ着けたといいます。

 作者の情熱が、現代人を感動させ続けていることに、画家の凄さを想わずにいられません。

 

 

 続けて、向かい側にある「大原本邸」に入りました。

 入り口の次のお部屋に、父母から孫三郎に送られた書簡のスライドがありまして、レベルは違うものの、心のこもったお手紙から親心が存分に感じられたことでした。

 

 

 肉筆の手紙。

 今は、メールというツールがあるので、親子で手紙を交わすことはほぼなくなりました。生の思いを子どもに送らないことは、その人の匂いが伝えられないことでもあって、時代の変遷をさみしく思い、鼻がツンツンしたことです。

 

 

 700坪といわれる広大な邸宅の一番奥に上品な別邸があります。

 孫三郎が収集した灯籠などが並ぶ日本庭園です。

 おられた係の方に、

 「こんなに広いと管理がたいへんですね。雑草はどうされているのですか?」

 「私がこちらに入ってからというもの草抜きされているのは、見たことがありません」

 「そうなんですね。百年抜き続けて生えなくなったのかな」

 つまらない疑問は庶民らしいと思われたかもしれません。

 青い苔が一面を覆う美しいお庭でした。

 

 

 お床に目を移すと、こんな掛け軸が掛かっていました。

 孫三郎は、お坊ちゃま育ちでしたから、大学時代には借金も作ってしまったようです。

 でも、だからこそ、人を見る目を養えたのかもしれません。とても、人を見る目のあったお方だといわれています。

 この掛け軸に書かれている「労研饅頭」なるものは、大連に行ったときに自ら味わい、うまいと思ったものです。

 これは、従業員たちに是非とも食べさせて上げたいと作って配ったお饅頭です。今でも、木村屋で売っていると教えてもらったのに、時間がなく買い損ねたのは残念なことでした。

 

 孫三郎のように、人を見る目があって、一旦任せたら金は出しても口を出さない大人物。そんな人、令和にも出てこないかな?