こころあそびの記

日常に小さな感動を

中之島美術館

 

 昨日、大形先生のメンバーのひとりに、「中之島美術館」に誘われました。

 テーマは「民藝」でした。

 彼女は、北海道出身なのに、どうしたことか丹波に住み続けています。

 そのわけは、「丹波布」に魅せられたからです。だからといって、染色ができるわけでも、機織りができるわけでもありません。

 丹波布の発生した歴史をもっと知りたいようです。

 

 一つの物事に対する興味は人によって違うことをあらためて思い知ります。焦点の当て方は、十人十色であることが面白く、だからこそ、研究は深まるといえます。

 研究者ひとりひとりが任される領域が幾通りもあるから、それを傍で見てるだけの人間も、縁があればそのうちの一つに何かしら触発されて、物思うチャンスがもらえます。

 

 

 民藝という言葉を作って、この世界に先鞭をつけたのは、柳宗悦です。

 展示品の中には、昔、家にあったよね。使ってたよね。といった道具がありました。

 民藝とは、華美な贅沢品ではなく、民衆が使っていたものです。

 必要に迫られて生み出された物に美しさがあることを発見した。それまで誰も気付いてなかったことに気がついた。これが、新しい視線でありました。

 面白いことに、誰かが価値を付け始めると、私もそう思っていた、という人が現れます。

 ブームの始まりです。

 

 特に民藝は生活の中にあるものですから、拒絶する人は少ない世界です。

 母や祖母が手仕事をしているのを見て育った年代には懐かしさもあります。そういう機会に恵まれなかった者にとっても、見たことがある、と想わせるのが民藝です。

 体の深いところにある記憶が呼び覚まされて、やさしい自分になれる時をもらったように思いました。

 

 

 閑話休題

 丹波布の愛好家である友人が、丹波布を真剣に時間をかけて観察する姿が印象的でした。

 数ある織物のうちで、なぜ、柳宗悦丹波布をトップに掲げたのか。知りたくないですか。

 それを彼女も知りたいのではないでしょうか。

 自分の心が追い求めるものに出会えたことは、この世で自分に与えられた役割に行き着く初めの一歩だと思います。

 

 さて、東京の民藝館建設に当たっては、倉敷の大原孫三郎が支援したとのこと。

 凡人の私は、やはり、自分の目より、有名人のそれを頼る情けない人間です。

 今度、倉敷に行ったら、倉敷ガラスの工房を訪ねてみたくなりました。