こころあそびの記

日常に小さな感動を

「見るな座敷」

 

 お弁当を作り終えて外に出たら、東の空に茜雲が燃えていました。

 雨が近づくことを知らせる雲があって良かった。雲があるから、こんな西洋絵画のような朝景色が拝めます。

 

 

 振り返ったら、西の雲に曙光が。その色は瞬く間に消えていきました。

 

 

 昨夜の宮城大弥くん。

 彼の涙に、どれほど沢山のファンが一緒に胸を痛めたことでしょう。

 今朝のスマタン出演の能見篤史さんの言葉数の少なかったこと。同じ思いでいてくださるのだなぁと勝手に拝察したことです。

 人生山あり谷ありだよ。

 宮城君自身がよしとする人生を掴み取ってくれることが、ファンの望むところです。

 

 

 『日本の神話』。

 図書館で立ち読みした箇所は、最終章です。

 そこには、アマテラスは優しくて平和な性質であり、他の神話の神様のように容赦なく罰したり制圧したりする恐ろしさは持たない神様です。

 と書いてありました。

 神話の時代から日本人は争いを好まない民族だったのですね。その末裔の私達だって同じはず。

 そんな思いで借りてきた一冊です。

 

 

 「見るな座敷」といわれる昔話が各地に言い伝えられています。

 

 ひとりの男が山奥に家を見つけて、そこに住む女の人に招き入れられます。

 しばらく滞在してるうちに、夫婦になり、ある日、彼女が出かけることになります。

 「他の引き出しは開けてもいいですが、四番目の引き出しだけは絶対に見ないで下さい」と固く言い渡されるのですが、彼は守れなくなって、開けてしまう話しです。

 見てしまった男の人は神罰を受けて、老人になってしまいます。

 

 ただ、この話しが「田の神様」と結びついていることに、大人の発見がありました。

 一段目の引き出しは春の田打ちの情景が。

 二段目は苗代。三段目は田植え、とあって四段目は、稲穂が実る秋の景色だったのです。

 

 「田の神様」は、春に里に降りてきて、人々に恵みを与えます。そして、秋の収穫の後、人々に労いのお持て成しを受け、感謝されて山に帰り、冬の間「山の神」になられるのです。

 昔話に出てくる山奥の家のお座敷は神様がお休みになるところだったのです。

 

 

 神様を、誰にでもわかる昔話に取り入れて語り継ぐことで、私たちはいつも神様と一緒にいられます。

 それが先祖が作り上げた、この国の平和の形です。

 

 ちなみに、今月行われる”亥の子祭り“も、”十日夜(とおかんや)“も、田の神さまを山にお送りする行事だそうです。

 そういえば、明日は箕面竜安寺では、「戸閉法要」があります。

 11月から春まで、里は静かに眠りにつきます。