こころあそびの記

日常に小さな感動を

つれづれに

 

 きのう、箕面市民図書館の蔵書検索をかけたら西畠清順さんの著作、『はつみみ植物園』、『プラントハンター』、『教えてくれたのは植物でした』、『そらみみ植物園』のいずれもが、貸し出し中になっていました。

 彼は常に全身を研ぎ澄まして生きている。それが人に感動を与えているのではないでしょうか。

 

 

 先日のそら植物園、農場ツアーでは、彼が昔と変わらないことを垣間見て、うれしく思った次第です。

 逃げも隠れもしない野生人。

 そんな生き様が魅力です。

 

 あの日、数人のスタッフさんにお世話いただきました。どなたも、清順さんに憧れて手を挙げ、入社を許された方と推察します。

 仕事は山積みで、秒単位、分単位のサポートにお疲れのはずなのに、笑顔を絶やさない方ばかりでした。

 それは、全力で生きる社長に触発され、この人について行こうという意志の現れでもありました。

 

 

 この人について行こうと決断する決め手は何でしょう。

 肩書き、社会的地位、お給金?

 そんな目に見えるものはあてになりません。

 だからといって、相手の人格を見定めるのは難しいことです。

 

 

 今に始まったことではありませんが、近頃、人に騙された話が出回っています。

 人生経験もあり学識も人並み外れてお持ちの学者さんが、コロッと騙されたと聞くと、この世の世知辛さは、いつの時代もかわらないことを嘆きたくなります。

 

 人を見る目を養うこと。

 こればっかりは、練習したから上手くなるというものではなくて、それこそ、しくじってばかりでも、それが、”神様がいうとおり“なら、甘んじてん受け入れなければなりません。

 

 

 会うべくして出会う人。

 親子は、その最たるものです。

 嵐のような家庭環境が私に教えたのは、人格と学歴は相関しない、ということでした。

 なぜそういう信が形成されたかというと、騙され続けた父を見て育ったからです。

 人並みに大学も出てるのに、なんで、ああなのかと母の嘆きも聞き飽きたことでした。

 そんな父が騙せたのは、母と子どもくらい。今思えば、かわいらしいものです。

 騙すより騙される方がいい。ともいいます。

 騙され続けた父は、人を見る目が全くありませんでした。

 それでも、人生を全うできたのです。子や孫には大人気の老年期でした。

 だから、人生は面白い。

 “半分、青い”じゃなくて、”半分、いい人“。

 「お天道様はお見通し」と云います。

 うそをつくような腹黒さを隠し持った人は、必ずバチが当たると、幼い頃から聞かされてきました。死語になってしまった「バチがあたる」という言葉を復活させるべき時かもしれません。

 そんなん全然怖くないし、と云われそうで怖いです。