寒くなって足をこたつに突っ込んでいると、お尻に根が生えます。
まったりした時間の手慰みは、毛糸遊びです。
昔、習った編み物の先生の「同じ編むなら上質の毛糸で」という言葉が染み着いていて、百均毛糸はちょっと、という思いがあるにはあるのですが、お遊びと思えば、このお手頃な価格をありがたく思って、孫のハンドウォーマー編んでます。
こないだ、YouTubeで、脳神経科学者の中野信子さんと、バイオリストの千住真理子の対談の一部を観ました。
どんなふうに暗譜をするのかと問われた千住さんは、「私、楽譜を写真に撮るように覚えられるんです」と答えておられました。
中野さんが「じゃあ、数学得意ではないですか?」と続けたところ、「そうなんです。小学校のときからずっと(笑)」。
これについて、中野さんが説明されたところによると、共通点がなさそうにみえる両分野なのに、数学脳と音楽脳は同じ領域にあるそうです。
それで思い出したのは、先日、奈良ホテルの年代物のピアノが百年ぶりに修繕されるというニュースでした。
「アインシュタインも弾いたピアノ」と報じられいたのです。
物理学者のアインシュタインはピアノが弾けたという事実が、数学脳は音楽脳でもある証明です。
すべての人間を同じように均してしまおう。それが、平等だとういう潮流は、ほんとうはもったいないことです。しかし、それが分かるまでに、まだ百年はかかりそう。
編み物しながら「あさ8」を聴いていましたら、今日のゲストの武田邦彦先生が、面白い話をいっぱいしてくださっていました。
物理ができる子は、英語はできない。それで、いいんだ、と。
語学ができない。国語で点が取れない。それが、理系学生だといわれると、実例を知る私としては救いを感じます。
日本が世界に誇れる技術は、理系学生に負うところから生まれます。
戦前の日本が技術立国であることを自覚していたことは、理系学生は兵隊免除だったことからも窺えます。
そんな技術大国なのに、理系出身の社長は見当たりません。それは、文系の人と比べれば、コミュニケーション能力に不足があるからでしょう。
「彼が、もう少し上手に話ができたら、出世してただろうに・・」
私の周りにもそんな理系の人、見聞きします。
不得意分野があるのは仕方ないこと。そんな場合は助け合えばなんとかなります。
たとえば、今、話題のEV車。地球に優しいこの車が今から主流になると吹聴されています。メディアも含めてそう信じ込ませようとしているかのようです。
果たして、それは、正解なのでしょうか。
正解かどうかは横に置いて、自動車を作って売るということは、理系も文系も技術者も、みんなで力を合わせるから到達するものという想像は難くありません。
一人一人の持ち味が生かせる世の中になることを祈らずにおれません。
技術力をないがしろにして進もうとするご時世に危惧してしまう今日この頃です。