こころあそびの記

日常に小さな感動を

もみじ狩り

 

 普段は静かな境内が、カメラを持った人で賑わっていました。

 酷暑の影響はいかにと案じたことですが、気温が順調に下がって、目に焼き付くほどの赤色になりました。

 落葉する前に赤くなるというシステムは、誰が考え出したものなのでしょう。

 次から次へと飽きさせない自然の変化のおかげで、「今日、来た甲斐があった」という声が聞こえます。

 その感動を周りの誰かと共有すれば、みんなが笑顔になって社会は明るくなります。

 自然の力は無限です。

 

 

 途中、近くの氏神様に寄りました。

 今日の今日まで、「知恵の神さん」は一番右側のお社に鎮座されている「武内宿彌命」だとばかり思っていました。

 今朝、ちょっと待てよ。「知恵の神さん」の表示は左にあるということは、左側にいらっしゃるということかと、ようやく気づいたことです。

 一番左のお社は「久延彦命」(くえびこのみこと)がお祀りしてあることから、知恵の神さんはかかしさんだと分かりました。

 かかしは神の依り代で、一日中、田んぼの中に立って、世の中を見ているから何でも知っている神さまとされます。

 そこから、田の神、学業、知恵の神さまと崇められることになりました。

 そうか。「久延彦命」社の隣が、お稲荷さんである意味に納得。

 知恵の神さまと、収穫の神さまが並んでおられるのは、農業が盛んな地域だった証です。

 今さらと笑われそうだけど、長い間の疑問が解けた朝でした。

 

 

 お寺や神社の掲示板を覗くのを楽しみにしています。

 手書きなら、そのお寺の住職さんのお人柄が忍べるので、それも楽しみです。

 神社の場合は、ほとんど神社庁から送られてきたものが貼られています。

 今朝は、金子みすずさんの詩の冒頭でした。

 「  土

  こッつん こッつん

  打たれる土は

  よい畠になって

  よい麦生むよ 」

 その続きはこうです。

 「  朝から晩まで踏まれる土は

  よい路になって車を通すよ

  打たれぬ土は 踏まれぬ土は

  要らない土か

  いえいえそれは 名のない草の

  お宿をするよ 」

 

 

 NHKラジオ講座のテキストにエッセイを書いておられた加藤徹先生は、金子みすずの大のファンのようで、ご著書『漢文力』の中の「自分を生かす」という章に、金子みすずの「土と草」を載せておられます。

 「  土と草

  母さん知らぬ

  草の子を、

  なん千万の

  草の子を、

  土はひとりで

  育てます。

 

  草があをあを

  茂ったら、

  土はかくれて

  しまふのに。 」

 

 先生は中国の京劇の研究をされています。

 教え子の中から、京劇研究者は出ないでしょう。私はそれで満足です。学生が将来どんな道に進もうと、京劇世界で感じた印象はずっと残り、何らかの形で生きることでしょう。

 と、書いておられます。

 

 

 それは、教師だけではありません。親だって同じこと。

 育てるのではなく、子どもは自ら育ってゆくものと、今なら分かります。

 本人さえ気づいていないところで、見えない力に救われて。

 金子みすずさんは、何かに生かされていることを、なぜ年若くして感じておられたのでしょう。

 詩を読む度に、はっとさせられます。