こころあそびの記

日常に小さな感動を

藤田美術館

 

 中之島からバラ園を抜けて、大川沿いに東に歩いていくと、藤田美術館があります。

 建て替え工事のため休業なさっていたことに加えて、お向かいの太閤園まで取り壊しになってしまったことで、足が遠のいていたのですが、昨日のInstagramで、「山」をテーマにした展示が始まったことを知りました。

 

 

 14時から『絵画と網島』のテーマで学芸員のお話があると告知されていましたので、”山“と”網島“に誘われたので行ってみたくなりました。

 藤田美術館太閤園のあった場所が網島と呼ばれるあたりです。

 『心中天網島』という映画を観られた方もおありでしょうが、これは、1970年10月14日に実際にここで起きた心中事件を題材に、近松門左衛門が書き上げた人形浄瑠璃をもとにしています。

 近松は同年12月6日には初演に持ち込んだといいますから、それは、当時としてもセンセーショナルな事件だったことが推測できます。

 そして、1969年に篠田正浩監督が映画化しました。もちろん、彼の愛妻、岩下志麻さんが遊女役。相手の男性は中村吉右衛門です。

 この映画は、私の年代の男の子たちをくらくらさせた罪つくりな映画だったと聞いています。

 そりゃ、遊女役が岩下志麻さんですから、夢幻の映像だったのではないでしょうか。

 

 

 ところで、地名の「網島」は、江戸時代、漁師たちが使う網がたくさん干されていたところに由来するそうです。

 漁師町に料理屋も立ち並ぶ賑やかな一角で、しかも東に生駒、南は信貴葛城と山の連なりが見えて、桜の季節には名所でもあったということでした。

 明治20年、藤田伝三郎翁が別荘を建てられたのは、ここがなにわで一番良いところといわれる場所だったからです。

 

 

 学芸員の國井星太さんは、まだお若い方で、網島の歴史から順に、網島に縁のある絵画のことまで熱心に説明くださいました。

 最後に、「こんな網島なのに、その後、全く登場しなくなったのはなぜなのか。そのことを、僕はこれから先も研究していきたいと思っています。そして、師匠からは、考えて考え続けて、ようやく絵が見えてくるといわれています」と話されましたが、その照れたような真摯な言い方を、私はうれしく聞きました。

 この言葉を聞けただけで、来た甲斐があったと思えました。若い人に期待するものは、真っ直ぐな視線です。がんばってほしいものです。

 

 

 展示室から出てきたら、取り壊す前にお蔵の前にあった、藤田美術館のシンボルといえる塔が夕陽をバックに佇んでありました。

 ガラス張りの作りや、自動ドアで、以前のギシギシいうお蔵の年代物の雰囲気はなくなりましたが、この塔のおかげで、味わいが残されています。

 

 

 広々とした公園を散策していると、川面が光っているのが見えました。

 あっちから、帰ろう。

 大川沿いを桜ノ宮まで歩きました。

 

 

 メタセコイアの高いところに夕陽がさして輝いています。この時間に通れた幸運を思ったことです。

 

 

 かつて“日本のベネチア”といわれた大阪は、ごみごみした町になり下がってしまったと残念に思っていましたが、こうして、川を上手に使うことで、また盛り返せるのではないか。

 江戸時代に、近松門左衛門が描いたように人情もあり、教養もある町に再生してほしいと願っています。