こころあそびの記

日常に小さな感動を

雨の日は雨を愛そう

 

 今日は「第9回花梨の会」に、そぼ降る雨の中、お集まりくださいましてありがとうございました。

 途中、コロナ禍のために継続が危ぶまれたこともありましたが、「杏☆漢方セミナー」から数えると100回越えとなりました。

 これも偏に、コアな参加者でい続けてくださったKさん、Tさんのおかげです。厚くお礼申し上げます。

 来年は出張講座の依頼をお受けして、年明けからお話し会の予定です。

 目新しい話はできませんが、この十年積み重ねてきたお話しをさせていただきたく思います。

 

 本日は会の後、ガストに行ってミニ忘年会をしました。

 そうしたら、なんと、注文はパッド、配膳はロボットになっていました。

 テレビなんかでは見ますが、実際にロボットを見たのは初めてだったので、子供みたいにはしゃいでしまいました。

 会計の機械で現金が使えなかったので、人手を借りてしまいましたが、キャッシュレスカードを持っていたら、誰にも顔を合わさずすべてが完了してしまう現代事情。

 人手不足の解消と効率を考えると、それも仕方ないない時代になりました。

 ロボット君。子供ならもっと喜ぶかと思ったのに、意外なことに隣に座るいま時の子どもたちから歓声は上がりませんでした。

 こんなものを喜ぶのは珍しがりの年寄りのほうかもしれません。

 

 

 ところで、この十年、皆勤賞のKさんの楽しいお話ぶりが、参加者をわくわくさせてきました。

 それは、彼が心から楽しんでいる様子がこちらに伝わるからでしょう。

 「おっちょこちょい」という言葉でご自身を表現されますが、それは、辞書にあるような”上滑りで軽々しい“という意味ではありません。

 彼の場合は、興味を持ったことに突撃する冒険心のかたまりというか、少年の心のまま大人になったと言った方が的を得ているようです。

 

 

 人間って不思議な生き物です。

 同じ人はひとりとして存在しません。

 あの人のように生きたいと思っても出来ないのです。

 先日から読んでいる『俳句で学ぶ唯識超入門』の中で、多川俊映貫首さまが、心のあり方をいろいろ解説くださっています。

 今行っている行為が、阿頼耶識にしまわれる。

 また、その仕舞われた種が縁にふれることで、顔を出して行為になる。

 私たちは今を生きているつもりですが、それは覚りからはかけ離れた考えです。

 深層心理といわれる心の一番奥にある阿頼耶識に、今の行為、今の思いがしまわれているのです。

 それは、この一代だけではなくて、ずっとずっと昔のことも記憶されている。それを知ったら、いまの生き方をどれほど大切にしなくてはならないか分かります。

 だから、どんなに憧れても、一朝一夕に憧れの人にはなれません。

 今日、私はKさんのお顔を眩しく感じました。どんどんこの世の垢が剥がれていって美しくなってこられました。

 彼が子どもように行為されるのは、この世に生まれてから培われたものではなく、遠い歴史があることを考えさせられたことでした。

 

 最後に、堀口大学の素敵な詩を一編。

 

 「   “自らに”

  雨の日は雨を愛そう

  風の日は風を好まう

  晴れた日は散歩をしよう

  貧しくば心に富まう   」