こころあそびの記

日常に小さな感動を

散歩のすすめ

 

 白いボディに光を受けて、遥かに空高く飛行機が飛んでいるのが見えます。

 あそこはまだ地球の中なんだと思うと、少し安心するのは先日の事故のせいかもしれません。

 海保の機長さんの心がつぶれませんように。そればかり祈っています。

 

 

 朝の散歩は、親鸞さんに朝のご挨拶をして、千里川へ。

 今朝、見た小鳥は、ひょっとして百舌鳥?

 遠くの方から元気な声が聞こえていました。双眼鏡で確認したのですが、逆光でうまく見えません。でも、丸っこい胸の褐色がきれいに見えたので、勝手に百舌鳥と決めました。

 百舌鳥は堺市の市鳥。

 「はやにえ」の行動を小学校の教科書で習ってから、恐ろしい鳥というイメージを持ってきました。

 ところが、過日の探鳥会で百舌鳥が大人気だったことから、すっかり見方が変わってしまったのです。

 きつめのアイラインと丸っこい体と百枚の舌で鳴く鳥がいたら、それはモズにちがいありません。

 

 

 サギとカルガモが一緒に居るところを何カ所かで見ました。

 食性が違う者同士、仲良く共生しています。

 カモはお尻を川面に突き出して水草を食べるのに夢中。一方のサギは川の中の獲物を狙ってじっと佇んでいるようでいて、縄張りに侵入してくるサギの追い出しには果敢に挑戦する強さを持つ鳥です。

 彼らには、彼らの生活規範があることがわかります。ぼーっと生きてるのではなく、しっかり考えて生きていそうです。

 

 

 鳥たちのシンプルな生活と違って、人間は生きるために考えなくてはならないことが多くてたいへんです。

 ただし、それは壮年期のお話。

 その時期を過ぎた者にとって生きることはシンプルです。自然に呼吸を合わせてさえすれば、ほぼ幸せに過ごせます。

 たとえば、この散歩です。

 歩数カウンターの数字による満足感は肉体の健康管理のという物理的なもの。

 以前、散歩は季節を感じて歩くことと、教えて下さった先生がおられました。その言葉が今、先生と同じ年ごろになってほんとうに理解できるようになった気がします。

 自然の移り変わりや鳥の姿や星の煌めきはひとときの感動ではなくて、ひょっとしたら、心の深いところの記憶、阿頼耶識(あらやしき)に刻み込まれるように想っています。

 それは、この先、何回生まれ変わっても潜在意識に残っていて、自分を慰める力になってくれる気がするのです。

 だから、散歩しましょう。

 ふらふら歩いて見あげた空が、いつか見た空だと思えたら幸せが満ちてくるはずです。