雨の散歩道で、すずめの大群に出会いました。
「チーチーパッパチーパッパ♪」
すずめの学校の先生は不在のようで、好き勝手に歌い放題です。
お話に夢中になっているかと思いきや、スマホを構えるやいなや、一羽残らず飛び立つ賢さがあるから、人間の住まうところで生き延びてきたのでしょう。
新海誠監督が、なぜ、『すずめの戸締まり』とされたのかは存じ上げません。
ただ、以心伝心でその思いを受けた野田洋次郎さんが、テーマソングの歌詞にこう綴っておられます。
「思い出せない大切な記憶
言葉にならないここにある想い
もしかしたらもしかしたら
それだけでこの心はできている」
だれでも、このフレーズは思い当たることでしょう。
私たちは記憶の中に生きている。でも、その一つ一つは忘れているような錯覚の中にしまわれて、時として鮮明に浮かび上がる。
だからこそ、日々何を思って、何をして過ごすかは、大げさに云えば人格の鍵を握っているかもしれません。
何かに、あるいは誰かに出会ったときに、共感できるのは心の蓄えがあるから。それを持つ人が幸せ者といえるような気がします。
今日、何かうれしいことはありましたか?
私は、ありましたよ。
じつは、昨夜は付(ふ)君の中国への帰国送別会でした。
会場が遠いので出席を随分と迷いましたが、中国語の発音を初めて教えてくれた恩人であることを思うと、パスは考えられませんでした。
眠たくならないように昼寝をして、久しぶりに遠距離運転を敢行いたしました。
早めに退出して、帰ろうとした私を見送りに出てきてくれた彼とひとことふたこと話してるうちに、フィアンセの写真を見せてくれました。
外国に出した一人っ子の彼を首を長くして待っておられるご両親の親心は痛いほどわかります。帰ってきたら、あれも、これもと思っておられるうちの、最大の願いは結婚です。
お嫁さん候補としてご両親が選んでおられるのは、可愛らしくて、しかも医大の修士学生であるという才色兼備を絵に描いたようなお嬢さんでした。
幸せになってねと約束して別れました。
そして、本日、先ほど彼からメールが届きました。
「昨日はご出席下さってありがとうございました。長生きして、僕の結婚式にきてください。」
年寄りを泣かせるの、うまいなぁ。
雨のバス停で、延着のバスを凍えそうになりながら待っていた私は、このメールを見た瞬間、ふわっと、じわっとなる心を抑える努力が必要でした。
このような優しい言葉がけに長い間ご無沙汰だったように思って、舞い上がり、取り急ぎ、次のように返信しました。
「キャアキャアキャアキャア😂うれ しいお言葉に感激して
涙枯れそう😂😂😂
ありがとう❤
おばあちゃんを喜ばせてくれたから
きっと
付君は神様に愛されるよ❤❤✌️
お幸せにね❤❤❤🙇♀️❤❤」
記憶だけでできているという心に、うれしい記憶をまた上書き保存できたことが幸せです。