こころあそびの記

日常に小さな感動を

ことの心をえたらん人

 

 “今年も残すところ十日となりました”

 昔は手紙の書き出しに、必ず使った文句です。その後に、街は賑々しくなり、と買い物客でごった返す町の様子を続けたものです。

 それが、この数年のコロナ禍で街は閑散とし、その光景に人々も慣れてしまった感がありました。

 ところが、どうでしょう。

 今、街に大賑わいが戻ってきました。

 しばらく見なかった人の数に、疲れを感じてしまうほどです。年とったことを実感して、ちょっとさびしいことです。

 

 昨日、バスの中で聞いた会話。次はいつ会えると尋ねた友人にこんな応えをしたご老人がありました。

 「せやなぁ、あと十日やろ。大掃除もせなあかんし、明日はアタマ(美容院)行かなあかんねん。

 こないだ、温かい日があったでしょ。あの日に、床の間の掃除しようと思ったら、おとうさんがまだ早い、云うたんよ。」

 いいなぁ。これぞ年の瀬だとうれしくなりました。

 これに、お花の生け込みや玄関先の掃除が入ると完璧です。あとは、おせち料理のための買い出しかな。

 昔は、どこのお家も、こうやってお正月を迎えたことを思い出させてもらったことです。

 

 

 お花を生ける。 

 テーブルの上に飾るフラワーデザインは、今風で、若い人には人気があります。

 しかし、阪急電車梅田駅の2階改札に向かう通路に、未生流の生け花教室があります。多分、この通路が出来たときから変わらない教室です。

 嫁入り修行に必須だったお茶、お花、お料理。ほとんどの習い事が消えても存続していることが解せません。

 生き残っているのは若い女性に支持される何かがあるのかなと、いつも横目で見ながら通っています。

 

 バスの中の老女ではありませんが、床の間に生け花がある。そのことで、部屋に華やぎが創出されるだけではありません。

 花が持つ霊力が不思議な空間を演出してくれます。目に見えない宇宙がそこにある。

 そして、日本文化である床の間に生けられた花は「自然の窓」だと、栗田勇さんは仰っています。

 

 

 先日、友人が「私は一見枯れたように見える草花にも、いのちを感じる」と教えてくれました。

 彼女が正統な大和撫子であることが、これで、よく分かりました。

 自然の中で息づく植物の呼吸が感じ取れることは、古代人と同じ感覚を持って生きていること。

 彼女への敬愛が深くなったのは言うまでもありません。