こころあそびの記

日常に小さな感動を

お坊様の気づき

 庭の百日紅がようやく咲き始めました。
 晩夏。この花の盛りが終わる頃には秋ですね。
 今朝、その花々を、カナブンが三匹、蜜を求めて花から花へと飛び回っていました。ところが突然三匹が同時に逃げるように去って行ったと思うやいなや、蜂が数匹やってきたのです。
 自然界の譲り合いの心を見せられて、はっとしたことでした。


 
 さて、しばらく前、東本願寺大谷派で9歳以上の子供たちの得度式があったと報じられました。
 親鸞聖人がこの年で得度したことに因むそうです。小坊主さんが剃髪したばかりの真っ青ないがぐり頭で黒い袈裟を着て写真に収まる様がかわいらしいことでした。

 実は、近くのお寺のご子息が、娘と小学校で同級生でした。
 彼も、この得度式が近づくにつれ、毎日「いやや、いやや」と教室でも言ってたと、聞いたことがあります。
 その坊やが、ある日、鉛筆が持てない難病を発症されました。その後、手だけでなく、全身の筋肉が自分の意図なく収縮する「神経性ジストニア」と判明しました。
 進行が進み、授業はワープロを操作して受けるまでになっていると聞いたとき、彼にとって、この体験は後々お坊様として生きる糧になるはず、きっと立派になられると強く念じました。
 
 先日、お寺通信が届いて、彼が立派に大谷大学の講師など多方面で活躍されている様子を拝見してうれしいことでした。

 彼が書いています。
 「僕は仏様を信じたら、どんな不遇も”ありがとうございます“と引き受けていけると思っていました。
 だから、この事態を受け入れなくては、受け入れなくてはという思いに縛られていったのです。
 ある時、身体や心の問題が無くなることが仏の救いではないと教えられ、気がつきました。
 私は自分の”思い“に苦しんでいたことに。」

 体験があるから、この気づきは揺るぎない真実でありましょう。
 心の奥深いところにドカッと居座る“思い”を溶かせたら、真の悟り、自由を得ることができることを彼から教えられます。
 いいお坊様になられました。
 いつか説教を受けてみたいお坊様です。