こころあそびの記

日常に小さな感動を

「あたりまえに来ると思うなこの一日」

 

 冬の間、山茶花の隣で蕾をいっぱいつけていた寒椿が、満を持して開き始めました。

 聖天展望台に向かう山道にある藪椿の開花も待ち遠しいことです。できることなら、その日に立ち会えますように。

 

 

 

 なんだろう。蕾が天に向かって立ち上がっています。こぶしかな?

 

 

 梅が満開になっているお宅がありましたが、我が家の梅はただ今、三分咲きです。

 

 

 毎月七日は、竜安寺護摩供が挙行されます。

 行者堂の中で焚かれる護摩供。勢いよく立ち上る炎の形と色、お堂の中をぐるぐる回る煙と匂い。パチパチはねる護摩木と檜の音。

 五感を清めていただく場に身を置けることは幸せなことです。

 お堂の奥にある神変大菩薩(役行者)の扉は閉まっています。開くのは四月。

 自然も人間も、春を待つ準備中の二月です。

 

 

 千里川で、コガモが遊んでいました。

 なぜか、まだ、川がセメント色なのです。それでも、カモたちは川の中に顔を突っ込んで、水草を食べています。その姿がかわいらしくて見飽きることがありませんでした。

 特に、その中の一羽が川を遡ったのはいいけれど、石ころで流れがせき止められた浅瀬で行き場を見つけられずに、うろたえた様子に笑ってしまいました。でもその後、飛び立って行ったのはさすがでした。

 

 

 散歩は自然を感じながら、と教えてくださったのはリャンピン先生です。

 年々、その言葉の意味が深くなっていくように思います。

 自然が日々、循環していく姿を観察していると何もかも忘れて、気がつくとお腹いっぱいになっています。

 こういうの、心が満たされるというのでしょうか。それで、今日も元気に過ごせそうと思えたら上等。

 散歩の効用はここにありです。

 

 

 報恩寺さんの掲示板が貼り替えられてありました。

 「あたりまえに

   来ると思うな

   この一日」

 自然は、お正月から過酷な修業を人間に課せられました。

 それは、なんでも自分の思い通りになるという思い違いを戒めるために、神様がなさったことと気づくとき、この掲示板の言葉が身にしみます。