こころあそびの記

日常に小さな感動を

空のなぎさが見える日

 

 万人が春の訪れを感じる一日でした。

 雲が流れる青空を背景に、木々の先端が囁いている様子が見える。そんなふうに読み取った三好達治はすごい人です。

 「いづこより遠く来りし旅人は

   冬枯れし梢のもとにいこひたり

   空のなぎさにさしかはす

   梢のすえはしなめきて

  ・・・」

 『空のなぎさ』を知ってから、この季節の散歩が一層楽しくなりました。

 

 今日は、好天気に誘われて、水月公園まで観梅に出かけてみました。

 「いいわね。こんな近くにいいところがあって」

 「知らなかったよ。こんな広い梅林があること」

 行き交う人の会話に、くすっとするのも楽しいことです。

 植木という地場産業の名誉にかけて世話されている梅林ですから、一枝一枝に丹精がこもっています。だから、園内の気が澄み渡っているように感じるのかもしれません。

 

 

 今月号の『致知』に、野球評論家の廣岡達朗さんが登場なさっています。

 対談のお相手は、合気道家の藤平信一さんです。

 合気道といえば、思い出すのは高校時代です。

 入学して直ぐに「合気道部」に入ったのは、母の友人の勧めがあったからです。

 全身青あざだらけになって、一学期間さえ我慢できなかった記憶があります。

 ですから、そこで縁が切れていたら、合気道の精神に触れることはなかったでしょうが、幸いなことに顧問の阿部醒石先生は書道の授業を担当されていました。

 筆を持つときの心得は、ただひとつ、へそと小指に力を込めることと教えられました。

 筆を持つのは、親指、人差し指、中指であるにも関わらず、小指以外は力を抜けと云われても。

 しかし、それが合気道の極意だったのです。

 そして、それは合気道に限らずすべてに通じる極意でした。

 

 

 現在92歳の廣岡達朗さんが、教えを乞うた藤平信一さんのお父様から学んだことは「余分な力を抜く」ことだったと仰っています。

 力を鎮めるところは、へその下、丹田です。

 ここに「氣」を集めることで集中力は高まり、健やかで居られます。

 丹田は呼吸法との結びつきの濃いところです。これは、腎の働きである「納気」と関連しているように思います。

 一日に何回か深呼吸をしていますか?

 天地をつなぐ自分を意識して、清気を吸い込んで、それを腹の深いところまで落とします。

 もちろん天が応援を惜しみなく送っていることは、目に見えるものではありません。それぞれが感じるしかないのです。

 でも、感じられたら今日のいのちは保証されます。ですから、一日に何回か、体の底に届く呼吸をいたしましょう。

 

 

 さて、名医は患者に薬ではなく安心を与えると、廣岡さんは語っておられます。人は安心すると良い「氣」が出てくるものです。

 病気を治すのは、その「氣」なのです。仕事をするのも、勉強に励めるのも、根本は「氣」の充実です。

 たとえ病気であっても、そんなの関係ないとばかりに集中できたら、難関突破も夢じゃない。

 そんな夢追い人を応援する人生もいいもんです。