こころあそびの記

日常に小さな感動を

雲の峰

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 書家でもない限り、成人して後に筆を持つことはなかなかないことです。
 私もその一人ですが、お習字には懐かしさがあります。
 小学生の頃は、近所に住まわれていた元教師のおばあちゃん先生に習っていました。
 入り口で、正座をして「こんにちは」とご挨拶する事から教えていただきました。書道には至らないものの、“道”の入り口を教えてもらったように思います。
 その後、引っ越しをしてしまったので、中学の三年間を空白で過ごしてしまったことは、残念なことでした。
 高校で書道を選択して、合気道の達人に書道を習いました。へそに力を集めて、筆使いに“気”を込めることは、ここで初めて知ったことです。”書“の魅力は筆力であることを学びました。
 次に、大学の部活で、同い年とは思えない知識と実力を持つ人達に出会いました。
 特に、岡山、広島という瀬戸内地方の書道民度の高さには驚いたものです。
 夏合宿で、みんなが臨書する姿を見て真似事しかできないことに気後れしながら、汗だくで墨を摺ったことも懐かしい思い出になりました。

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 もし、本当に好きなことだったら縁は切れないといいますが、私の場合も実際に筆を持つことはなくても「書」を見ることはずっと好きでした。
 『揚州八怪』展覧会の会場で、書道史を簡潔に纏めてマンガが挿入された本を買ってきました。
 『マンガ「書」の歴史と名作手本』(魚住和晃編)に顔 真卿と懐素が書法の神髄を何によって獲得したかと話し合う場面が描かれています。
 顔 真卿は「屋根裏にしみ込んだ雨漏りの痕」といい、懐素は「夏の空に浮かび風まかせに動く雲」と応えます。
 懐素の書が片雲とも見えるのは、彼の懐中にある景色なのですね。
 高校の時、「夏の峰」という言葉を含む漢詩を書いた覚えがあります。だから、夏の雲がもくもくと峰を作る様子はあの頃を思い出させます。
 
 ずっと、飽きることなく心に掛かって、自分を励まし続けてくれたもの。心が空っぽにならないように、そっと片隅で邪魔しないで一緒にいてくれるもの。それを持つ人は幸せ者だと思います。。