一日遅れになってしまいましたが、昨日は陰暦のお正月で新月でした。中国では春節祭のお休みが始まっています。
数字の羅列だけを追う現行暦にくらべて、月の満ち欠けベースの陰暦は生活にリズムを与えるには最適なように思えます。
近頃は、陰暦カレンダーなども発売されて、特に女性には好評のようです。
空を見る生活は、自分が自然の一員であることを否応なく意識させます。
それが、体の深いところにある根っこにいい影響をもたらす気がするのですが。
今朝は、野暮用で川西池田駅に行ってきました。
行きの阪急電車内の吊り広告に呼ばれた気がして、帰りは、逸翁美術館まで歩いてみました。
現在の展示は『THE コレクター逸翁』で、一三翁の元に集まってきた蒐集品が展示されています。
文系の知識を学ぶ機会なし、志なしにここまで生きてしまったので、こういう展覧会を観ても、猫に小判、豚に真珠そのものです。
会場内の一枚のお手紙が興味深いことを伝えていました。
一三翁が三井銀行を辞めて転職しようかどうか迷っていた折りに、友人が留まるようにと忠告しているものです。
「君はわがままだと評する人もいる」と、ありました。
この一文を切り取っては、彼の人物像を見誤るとは承知しながらも、そういう面がないと事業家としての成功は覚束なかっただろうとも思いました。
近衛文麿をはじめとして多くの著名人が彼を取り巻いているということが、一三翁の人間的魅力を物語っています。
仮名散らしが好きなので、蒐集品の一枚、重文の「あまつかぜ」に目が止まりました。
「あまつかぜ(勢)
く(供)も(毛)のか(家)よひ(非)ぢ
ふ(布)きとじよ(餘)
をとめの(濃)す(寿)が(閑)た
しばしと(度)どめむ(無) 」
ミーハーの私の目に止まるということは・・ご想像どおり、先日の『光る君へ』で放送された“五節の舞”と関係するものだったからです。
陰暦11月の新嘗祭の翌日に五穀豊穣と感謝のための舞われたということは、放送で解説されていました。
公家の娘が選ばれて舞うという儀式に紫式部が選ばれて、そこにハプニングが生じるというシーンでした。
蛇足ですが、この『光る君へ』の評判が上昇傾向にあるのは、もちろん、脚本家、大石静さんの手腕の力も大きいと存じます。『セカンドバージン』好きの私が言うのもなんですが。
さて、この継色紙に書かれた歌は、天女の舞いを称えるものであり、宝塚歌劇のトップだった“天津乙女”の名前の起源とも臆測できます。
だから、一三翁はどうしても手に入れたい一枚だったことでしょう。
そして、実際にゲットしまう小林一三という人の気概を、この一枚に感じたことでした。
久しぶりに石橋の「権八」に寄りました。
お女将さんが、隣のお客さんに「冬こそざるそばを」と、説明されていました。
そっかぁ。次は”ざるそば“にしよう。