こころあそびの記

日常に小さな感動を

小林一三翁

 

 

 写真の真ん中の小さな影は一羽の猛禽類です。

 羽根を広げたまま、悠々と飛ぶ姿を見て、古代人は自由な飛翔に憧れを持ったことが想像できます。

 尾根沿いにできる上昇気流に乗って、気持ちよさそうに飛んでいます。

 頭上を過るときに地面にできる大きな影は、ちょっとした恐怖を抱かせます。

 実際、優雅に見える滑空を追いかけているうちに、近くで目があって、思わずその視線にぞくっとしてしまいました。

 まさしく、鳥類の頂点に君臨する目でした。

 

 

 今日は、逸翁美術館に館長さんのお話を伺いに行く日。

 せっかくなので、久しぶりに池田城跡に寄ってみました。

 入り口の石碑に『荘子』からとった言葉を見つけて、今までなんで気づかなかったのだろうと情けなくなりました。

 ものを知らないと縁が結べないことは、世の中にいっぱいあって、その中の一つに教養という科目があることを思い知ります。

 石碑は「鵬飛萬里」(鵬は萬里を飛ぶ)と書いてあって、これは、『荘子』冒頭の「逍遥遊篇」に出てきます。

 荘子は、この壮大さと、なにものにも束縛されない自由をもって、読む人の精神を解放させます。ちっこい生き方すんなよ、と。

 

 昨日、猛禽類の飛翔を見たばかりでしたから、この重なりに意味を感じます。そうならないように、と思っていても、知らず知らず、型に嵌まった生活をしてしまっていることを省みろよと云われたように感じたことでした。

 

 

 逸翁美術館

 館長さんはお話上手で、90分があっという間でした。

 今年は小林一三翁生誕150年ということで、いろんな催しが開催されているそうです。

 たとえば、記念のお茶会。

 申込み開始5分で満席になったと聞けば、彼の人気のほどがわかります。

 それは、今日の参加者に男性が多かったことにも現れていました。

 アイデアマン、小林一三の才覚のどこかに触れたいと、思われても不思議はありません。

 寝ても覚めても、大衆を喜ばせることを考えておられたことは、今日のお話でよくわかりました。

 「みなさんは、”清く正しい美しく“は、生徒の心得と思っておられるかもしれません。でも、小林一三の心は、来訪者が楽しく過ごした思いを持ち帰り、家で、社会で”清く正しく美しく“過ごしてほしい。と、思っていたのです」。

 そんなお話を伺い、儲けるだけの経営ではなくて、社会活動家の側面を楽しく拝聴してまいりました。

 

 

 最後に、ファミリーランドの閉園について説明がありました。

 早い話、社員が、もっともっと楽しいことはと頑張りすぎたことが、採算に合わなくなって閉園という形になったそうです。

 でも、と館長さんは言葉を繋がれました。

 「彼等の頑張りは、人々の心の記憶となり、沿線の活性に役立っているはずです」。

 生き残った宝塚歌劇は、母から子へ、子から孫へ。今はその子どもへと受け継がれています。

 しかし、これも安穏とはしておられないと感じます。

 小林一三さんと同時代に生きたリーダーたちに匹敵するような指導者の出現が待たれる。今は、そんな世情です。