こころあそびの記

日常に小さな感動を

お日さま見えた!

 

 雨が上がったので、水月公園まで観梅に出かけました。

 いつか、「お連れがあっていいですね」と、声をかけてくださったご婦人があったように、今日もわんこがお連れです。

 いつもの道なのに、石橋小学校前の掲示板に「ここは有馬街道」と書いてあるのを見つけてからは、気分はすっかり歴史探訪者。

 箕面瀬川で西国街道から分岐して、ここから水月公園までは有馬街道だそうです。

 その昔、太閤秀吉と北政所も有馬通いに通ったかもと想像すると、学生時代の不勉強を悔いる気持ちになってしまいます。

 秀吉よりもっと古い遺跡が瀬川にあります。

 「弁慶の鏡水伝承地」といわれるところです。弁慶が源平合戦に行くとき立ち寄ったところと伝わっています。

 歴史は年号を覚えることではなくて、永遠の時間の帯の中で必死に生きた人が居たことを知ることなのだと、今頃になって気がつきます。

 上の写真の地蔵祠は「ニシンジョの地蔵尊」と呼ばれているそうです。

 能勢街道有馬街道が分岐する三叉路に建っていますから、歩けば必ず突き当たるお地蔵さんです。

 ですから、前々からこのお地蔵さんはなにかある、と思っていたら、やはり昔々から人々の旅を守ってくれていたのです。

 

 

 観梅シーズン限定のガードマンさん。彼らの手持ち無沙汰の様子からは、盛りが過ぎたことが察せられました。白梅が終わりに近づき、今は、遅咲きの紅梅が花びらを散らし始めています。

 明日は再び雨予報ですから、束の間の観梅日和です。そんな貴重な時間を楽しむ人々が三々五々散策されていました。

 

 

 めちゃ恥ずかしいお話ですが、中国ドラマ『後宮の涙』を、観了してしまった虚脱感から抜け出せずにいます。

 いつも、見始めは、こんな分かりきった筋書きをいつまで観られるのだろうと懐疑的ですのに、10話を過ぎるあたりから、身を乗り出して観てしまうのです。最後は涙涙で、制作者の思惑にはまってしまうのが悔しいところです。

 今回も、意地悪の応酬の繰り返しでしたから、半分はいつも通りのことと冷めて観ていました。

 私は、何が苦手といって騙し合いほど性に合わないものはありません。清濁併せ呑む器量が必要などといわれても、知恵ある機転を持ち合わせない私には理解できない宮廷話です。

 ところが、あとの半分には、興味ひかれることろが埋め込まれていたのです。

 

 

 このドラマは斉の国の話です。

 その時代に磁器の生産を始めたとあれば、陶磁器のことを調べたくなります。

 養蚕を始めたシーンを観れば、絹織物の歴史を知りたくなります。

 いゃですね。ものを知らない自分が恥ずかしくなりますが、こんなことから、暇つぶしができるのはありがたいことだと思って、また、次の獲物を探しています。