こころあそびの記

日常に小さな感動を

衣更着の空模様

 

 梅雨のような曇天が続き、その上、如月のもう一つの意味である衣更着(きさらぎ)したくなるような寒の戻りを実感する一週間です。

 人間だけではなく生物がいちばんに望むものは光です。

 次にお日さまが顔を見せたら、山の上に上りたい。そこで、思いっきり手を広げて光を浴びることが、今の切なる願いです。

 

 ところで、近ごろ話題にあがるものに、「~ハラスメント」があります。

 「~」は多種多様になってきました。

 セクハラとか、パワハラは認知されて久しいことですが、聞いたことないハラスメントを耳にするようになりました。

 「カスハラ」は、カスタマーハラスメントです。

 客が会社に理不尽なクレームや嫌がらせをすることだそうです。

 昭和以前は、客の方が立場が上でした。「ぼんさんぼんさん早よしてや~」と歌にうたわれているくらい、客と店とに格差がありました。

 それが、時代が成熟した令和には見られなくなったのはいいことですが、ハラスメントを訴える側に、どこか心の弱さを感じます。

 叱られたことなく育った。親の苦労が見えずらい。など、嫌な思いを経験しないで大人になってしまったことと、どこか関係あるように思ってしまうのです。

 我慢とか、聞き流すとか、そんなことも大人の証明なんだけど、互いに譲らず、なんでも訴えたもん勝ちの世の中って、漱石もびっくりの住みにくさです。

 

 

 また、新種の「~」が、「まるはら」です。

 ご存知ですか?

 「マタハラ」じゃないですよ。「マルハラ」。

 聞くところによると、若い人の間で、たとえばラインなんかでメールを送るとき、「。」を打ったら、それは「さいなら」と取られるそうです。

 句読点は、文章を読みやすくするために打たれるものです。昔の文章には見られないものですから、今でも、お手紙には句読点は打ちません。

 大人になって、あらたまったお手紙を差し上げる折には句読点を打たないと知ったときは、自分の不勉強を恥じたものです。

 でも、学校教育では規則を統一さる必要がありますから、句読点の打ち方を教えたのです。

 「。」は文章の最後に打つ。と決めたのです。

 教育現場の混乱をなくすための決めごとです。

 ほかにもあります。書き順なんかも、試験のための決めごとと思われます。もちろん、筆さばきの良さから決められるのですが、微妙なものも時々散見されます。

 もとい。

 「。」を打ったメールを送ってきたから、あの子をはみ子にしようなんて。

 その心根の腐りかたに、さびしさを覚えます。

 

 ちっこいことにケチを付けて、なにが楽しいのでしょう。

 私は、満面の笑顔の人から伝わってくるパワーをありがたく頂戴しています。

 いつもにこにこ過ごしましょうよ。

 気に入らない何かを探し歩くより、あれもこれも美しいなぁと心動かしながら過ごした方が元気になれますよ。

 これ、健やか原理です!