こころあそびの記

日常に小さな感動を

受験制度に思う

 

 外にも出よ触るるばかりに春の月

            中村汀子

 

 昨夜は今年二度目の満月が臨めました。

 雨続きの中、たった一日だけ雲を吹き払ってくれた天の意を思わずにいられませんでした。

 

 ところで、月の暦があるほどに、私たちの体と月は深い関係にあります。

 満月の日は大潮。太陽と地球と月との引っ張り合いが最高潮に達するからでしょう。そんなことが起こっている宇宙空間に思いを致すことで、ひととき気持ちを解き放つことができそうです。

 事実、私たちの体は月の満ち欠けに大いに影響を受けています。

 そのことは、2000年前の中国医学書の古典、『黄帝内経』にすでに記されています。

 新月のとき、血気の動きが鋭くなって、衛気(体の外側を守っている気)がよく巡り始める。

 満月のとき、血気充実し、肌肉が堅くしまる。

 つまりは、お月さまが新月から三日月、上弦の月から満月に至る半月間は、気力体力が満ちていくときだと云っています。

 それは、宵にその姿が見えることが心に、育っていく希望が体に、それぞれ及ぼす影響と無縁ではないように思います。

 反対に闇夜は、肌肉が減衰し、血気が虚して衛気の防衛力が働かず無防備となると、書いてあります。

 真っ暗な夜を過ごす不安な気持ちに体が反応しているとも取れます。

 

 このように天空と体と心は常に影響しあっている。そのことは決して嘘ではないと伝えています。

 ですから、今日から始まるお月さまの減退の半月間は、体をいとわなくてはなりません。季節は入れ替わりの不順な毎日です。次の新月は3月10日です。それまでは、どうぞご自愛ください。

 

 

 今日から国公立大学入学試験の前期日程が始まります。

 雨になりましたが、受験生にはそんなことは眼中にないはず。持てる力を出し切って挑んでほしいと願います。

 

 私たち世代までは、受験は一発勝負でした。共通一次センター試験もない時代でした。

 懐古的にそれが良かったとは申しませんが、今の試験制度のややこしさを見るたびに疑問に思うことがあります。

 大学受験は大学決定権が受験生にあるからまだよいのですが、問題は高校受験です。

 大阪府の場合、公立高校を受験して合格したら必ずその高校に入学すると確約しないといけないという規則があります。

 私学に行くなら公立は受けるな。という言葉に、その裏事情が透けて見えます。公立高校に迷惑はかけられないから、合格者のカウントは絶対でなければならない、と内々で決めているようにしか映りません。

 それは、公立高校が私学に流れる受験生の人数に恐れをなしている証拠。ならば、どうして私学並の指導体制を敷こうとしないのでしょう。少子化と私学無償化が、公立高校を脅かしているにも関わらず、ブランドに胡座をかいているとしか思えません。

 私たちの頃も、先生どおしの談合はあったと想像がつきます。そのおかげで高校に進学できた身でなにをか言わんやですが、教育改革が絵に描いた餅に成り下がってはいないでしょうか。

 私立も公立も受験して、合否判定が出た後で、本人の自由意志で進学校を決定させてやるのが親心だと思うのですが。

 今の制度は、最後までクラス全員で走りきる、という達成感を削いでいるようにしかみえません。

 多感で未熟な15才の春に、この残酷な選択を強要して当人と親を悩ませる制度を、早くなんとかしてほしいと願わずにおれません。