こころあそびの記

日常に小さな感動を

雨の閏日

 

 今日は四年に一回あるおまけ日です。

 肉(29日)の日を目玉にしている焼き肉屋やスーパーは、忙しくされているでしょうか。

 ラジオから流れてきたのは、ミモザの黄色い花が咲き始めたというニュースでした。アナウンサーの方が、春ですねと応えておられましたが、花粉症の人にとっては、その情景が鼻奥を刺激するのではないですか?

 玄関脇に植えたシンボルツリーが高木になり花粉が振ってくるようになれば、御近所さんとトラブルになることもあるそうで、庭木の選定の難しさを感じます。

 

 何度も云いますが、過去には花粉症なんて病名はありませんでした。しかし、今や国民病と云われるくらいに蔓延しています。

 そこで東京都は元凶を絶とうと、植林し続けてきた杉を今度は一転伐採する方向と聞きます。

 人間にとっての都合ばかりを優先して、自然をいたぶることが、いつまで許されるのでしょうか。

 いつか、じゃなくて、今、自然がしっぺ返しの牙をむいている。そんな気がします。

 それが分からずに、自然に追い討ちをかける方法を探る浅はかさがいやになります。

 相手を理解することを推し進めようという法律は、相手が人間の場合だけと見えます。話し合うべきは、懐深い自然だとは気づきもしないで。

 

 

 本棚に、大切にしすぎて使えない木彫りのスプーンがあります。

 これは、宮崎県綾町の児玉喜輝さんの作品です。

 綾町の道の駅でうろうろしていたら、「是非行ってみてください。私は彼の考え方が好きなんです」と、お世話係の人に背中を押されて、工房を訪ねた日が懐かしいことです。

 

 

 今日、その袋を開けてみると、彼がひろく人々に知ってほしくて書いた文章が出てきました。

 木魂(こだま)からのメッセージが二通です。

 「鳥に運ばれた種から芽を出した未生の桜の木は時間をかけてゆっくり育つ。たとえそこが岩の裂け目であろうと、与えられた生きる場所に根を張り幾多の困難を乗り越える力をつけていく。

 切り出された桜は五年ほど工房内で休むことで、本来の穏やかさを取り戻していく。願わくば、木の生い立ちを理解してくれる人に使ってもらいたい。話のできる人に使えってもらいたい。」

 「木は一見ものを言わないように見えるが、決してそうではありません。木魂に美を感じられる人は、木に選ばれた人です。響き合う心を持った人です。」

 

 きのうの星野道夫さんと同じく、一心に何かに向かう人は、真剣に自分探しをしている人と言い換えられます。

 児玉さんも、工房に寝かしてある木々の声を毎日のように聴いておられます。

 そういう生活に敬意を感じて、一途な人生を羨ましく思ったことです。

 

 

 私はなぜか他人の生き方に興味を持ってしまうように生まれついています。好みとしては、この世の垢にまみれたお人は避けたいところです。それから、この垢は、労働の垢でないことは言うまでもありません。

 

 さきほどから、政治倫理審査会が公開報道されています。

 この人たちの生きる目的は何なのでしょう。

 お金と権力。権力を掴むために必要なお金集め。

 はっきりそう言ってしまうことは、プライドが許さない。そうとしか思えない、愛のない言葉の羅列。

 人それぞれですから、そんな生き方もありだと思っていますが、国民をぺんぺん草にしか見ていない心の貧弱さには希望をなくしてしまいます。

 嘘でもいいから、「おーい!元気出そうや!」って肩を組んでくれる人がいたら、婆さんだって頑張れるのに・・