こころあそびの記

日常に小さな感動を

晴れた。時雨た。

 

 南岸低気圧が通り過ぎている加減で、明日は西高東低の冬型気圧配置になります。太平洋側は晴天、日本海側は大雪という教科書どおりのお天気になるそうですから、当然、気温も冬に逆戻り。体調管理に注意を要する週末です。

 一日早く、今朝の箕面の空は晴れ上がっていました。ひさしぶりに、こんな青空を仰ぐと心まで晴れ晴れしてくる思いがします。真っ白な洗濯物がひらひら揺れている情景がぴったりな朝でした。

 

 野暮用で家の留守番を仰せつかったので、庭で、ゆっくり春探しをしました。

 

 

 オドリコソウ。

 

 

 大好きなオオイヌノフグリ

 

 

 ノゲシも。

 みんないつもの場所で、芽を吹いて咲き始めていることに安堵します。

 

 

 サツキも元気に花芽を膨らませて、5月の連休に照準を合わせているようです。

 

 

 庭の片隅にハコベの群落があります。孫の誰かが、ウサギ当番なら喜んでくれたことでしょうが、残念ながら誰にも摘まれず思いっきり咲いて終わってしまいそうです。

 よくよく観察したら、白い小さな花が二つ三つ咲く準備をしていました。

 早春、ハコベ、青空に白い雲という役者が揃えば、思い浮かぶのはあれしかありません。

 文学に疎い私は、こういう時のために、宝物をため込んでいます。

 本棚から、細川護煕さんの『ことばを旅する』を出して、「小諸なる古城のほとり」のページを開けば、彼の墨跡の世界がひらけます。

 

 

 いいでしょ。こんなに気負いなく筆が持てる人になりたい。

 筆さばきが素直で誰でも読める。そういう字が好きです。

 

 ところで、詩の作者、島崎藤村は三人の娘さんを亡くし、その後奥方にまで先立たれたという悲しい体験をされています。

 この詩の全編に漂う哀愁はそんなところにあるように思われて、真実の美しさの生まれるところを見るには勇気が要ることに思い到ります。

 独りで生まれてきて、独りで死んでいく。

 そんなこと知っているし、わかっているけれども、身内を亡くした無念さを乗り越えるのは生易しいことではなかったことでしょう。

 それが、後段の、

 「昨日またかくてありけり 

   今日もまたかくてありけり 

   この命なにを齷齪(あくせく) 

   明日をのみ思ひわずらふ」

という境地にさせたのではないかと推測しています。

 

 

 亡くならずとも、離れて生活せざるを得なくなったショックが拭えないと、能登半島地震の被災者が漏らしておられました。

 「こんな事にならなければ、息子家族と最後まで一緒に暮らせたのに・・」と嘆いておられた寂しげな男性のお顔が忘れられません。

 人生にはハプニングがつきものです。その一つ一つが自分の成長の糧になると思ってはみても、腑に落ちるまでには、まだ長い時間がかかりそうです。

 

 それでも、能登の春は必ずやってまいります。

 自然が何事もなかったかのように巡ることは驚きでもあり、恨み節の一つも云いたくなるところです。であったとしても、被災者にとっては何よりの励みになるはず。

 春が運んでくる希望とは、なんとありがたいことでしょう。