今日は同居している孫三人のうち、まん中の男の子の誕生日です。
彼が生まれて1ヶ月後に、すでにICUに入院していた私の母が息を引き取るという慌ただしい出産でした。
モニターアラームが鳴りっぱなしの母の枕元に、新生児を連れていった娘には胆力を感じたものです。
この世の最後に見た赤ん坊のことを、母は覚えているでしょうか。おかげさまで、来月から高校生になります。ずっと応援してやって下さいと、この子の誕生日が来るたびに毎年思い出す新旧の入れ替わり劇です。
病院というキーワードで思うのは、先日の武見厚生労働大臣の発言です。
働く現役世代に負担をかけている保険料の改善策が国会で話し合われていました。
老人にとって、この問題ほど胸を痛める課題はありません。
これは算数のようにバチっと割り切れる答えが出るものではないだけに、動かし難い問題を孕んでいます。
高齢者の医療費を若者世代に押し付けている現実を打破する方法は、単純に考えると、高齢者の負担額を増やして少しでも医療保険からの支払いを減らせば良いように思われます。
ところが、大臣が仰るには、負担額を増やすと高齢者の受診が減ることが目に見えている。というのです。
それはつまり、医者の儲けが減るということです。
実は、この武見厚生労働大臣のお父様がこの医療システムを考えた方ですから、息子さんがその功績を潰すことはできないというところに大きな壁があります。
「皆保険制度」が国民の健康を支えてきたのだから、この制度を当然生かすべきという言葉が、どこか言い訳に聞こえるのは私だけでしょうか。
高齢者は今までの擦り込みで、病院に行かなくてはならないと思いこんでるふしがあります。
今、ベストセラーになってるような老人啓発本には、「70歳以上は検診するな」と異口同音に書かれています。
その年で検査に異常が見つかって、手術や投薬に費用をかけたとしても寿命はさほど変わりないというわけです。
大臣に反論するわけではありませんが、必要な人に必要な医療提供をするためには、不必要な人の受診を避けることも考えなくてはなりません。
たとえ、開業医の収入が減って困るとしても、高齢者の考えるべきは受診姿勢であります。それには、自分の健康は自分で守る覚悟を持つことです。
それこそ、国へのささやかなご恩返しができるかもしれない。そう考える老人がいてもいいんじゃないでしょうか。