「春は名のみの風の寒さや・・」
今日は『早春賦』そのもの。
先人の味わった季節感が後世の人間にそのまま伝わってくる臨場感が、歌い継がれる理由でしょう。
詩を作る人が、天に愛されているのは疑いようがありません。そうでなければ、後世への贈り物を託されるはずがないからです。
さて、昨日の続きです。
確か、「思いが叶った」と認めたような。
そうでした。神戸で勉強会があったので欲を張って、早めに家を出てハーブ園に行くことにしたのでした。
ロープウェイで上がる時には、雲は多めでしたが、下界が見えていました。
ところが、山頂駅に着いたあたりで一転、雪が舞い始めたのです。
3月のなごり雪は、私にとって季節の移り変わりに欠くべからざるツールです。これなしに春を迎えるのは、それこそ気の抜けたサイダー。
なごり雪を見送ることが、迎春の儀式みたいなものです。
ですから、雪が降る日をずっと心待ちにしていました。しかし、隣の川西で降った日もあったのに、箕面では降らなかった。降れ降れ!そういう私の思いが神戸で叶ったというわけです。
今さらに雪降らめやもかぎろひの
燃ゆる春へとなりにしものを
万葉集 巻10-1835
思いは叶う。
思っても思っても叶わないときには、恨みに思うこともある願い事ですが、反対にあっさり叶ってしまえば、怖いような気がするものです。
天は見てござる。と、いうのがほんとうのことと気づかされるのは、こういう時です。
深い詩の意味を妙なるメロディーにのせて歌う、”さだまさしさん“は、「あいうえお理論」を二十代で思いついたそうです。
アイデアの「案(あ)」。
きっかけになる「因(い)」。
「運(う)」。
「縁(え)」。
「恩(お)」 。
それを丹田に落とし込んだとき、彼なりの悟りがあったと推測します。
それ以降、神社のお参りではお願い事をしなくなったといいます。「ありがとうございます」というひとことしか云わなくなったそうです。
昨日のなごり雪が、もっともっと無欲で生きろと教えてくれた気がしてなりません。
神様の前に立つと、何かお願い事をしなければならないと思ってしまう癖がだめなのですね。
「ありがとうございます」。これからは、この人生のお礼参りをすることにいたしましょう。