解禁日を心待ちにしていた方々の溜め息が、「今年もだめか」と聞こえてきそうです。
『イカナゴ漁』は関西ではお水取りと同じく、春を告げる行事です。
地元、明石だけではなく播磨から関西地域まで、春一番の匂いは「イカナゴの釘煮」と決まっています。
砂糖や水飴、醤油にたっぷりの生姜を入れて炊く、あの甘辛い匂いで覆い尽くされた町を歩くとき、幸せを感じたものです。
なのに、今年のイカナゴ漁は不漁のために、たった1日で幕を閉じてしまいました。
取り尽くすことを回避して、来年以降に望みを託すそうです。
イカナゴ漁で獲る稚魚は、卵から孵化したての幼魚のことです。
生き残った子が夏場から冬まで半年以上休眠して、栄養をしっかり蓄えて海底に卵を生むそうです。しっかり栄養を摂らないと卵を産めないのはすべての種と同じです。
さて、1960年代から海を真っ赤に染める「赤潮」が始まりました。
それ以降、人間の生活用水や工場排水が原因であるとして、海への排水に厳しい規制が定められました。
その結果、海はきれいになったのに、魚は思ったように戻ってこない現実が待っていました。
下水の高度な処理で、プランクトンに必要な窒素やリンが不足したのです。生態系サイクルをスタートさせる植物プランクトンがいなければ、それを餌にする動物プランクトンが発生できません。
動物プランクトンがないということは、魚は食べる餌がありません。
今、瀬戸内海で起こっていることは、そういうことだそうです。
つまり、人間が頑張って自然をコントロールしようとしたにも関わらず、成果に結びつかなかったことを示しています。
山の森の樹木が作った腐葉土や落ち葉が川に流れ出た栄養素が海に到達して、豊かな海になることが周知されるようになりました。
自然は、そういう自然環境に人間や動物が関わっても壊れない循環を作り出しています。そこには、人間の知恵の及ばない絶妙なバランスがあります。これこそ、福岡先生の「動的平衡」であり、過不足のないことを知ることに繋がります。
生態系は必ず次のステージに移行します。
そのときは、またイカナゴの豊漁に湧くことでしょう。
ただ、それがいつになるのかは誰にも分からない。そこが自然の不思議です。神様のいうとおり、という呪い遊びが、現代にも適応すると知ってる人は幸せです。