こころあそびの記

日常に小さな感動を

不動明王の縁日

 

 一月は往ぬる、二月は逃げる、三月は去る。

 毎年毎年、七十年以上も、この言葉を繰り返してきましたが、今年もこの言葉通りに早や三ケ月が過ぎようとしています。

 

 

 薬局で若い同僚と四方山話をしていましたら、「バードウォッチングに行ったり、なんのかんの楽しんでますね」といわれてしまいました。

 「そんなことないよ。時間を持て余してるだけ(笑)」

 じっとして過ごせない性分なので、ばたばたと出たり入ったりを繰り返しているだけの実のない人生です。

 論語に「知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ」とあります。

 年を経るごとに山に惹かれますのに、やってることは常に動く水の如しです。

 いつになったら・・は、なくて多分動ける間は動きたおすのが我が人生。だって、私は丙生まれ。太陽が休まないように、動き続けて生きるのが私流です。

 

 せめて、年寄りらしく一日一日を大切にしようと、暦を見ながら過ごしています。

 本日のところに「不動明王」の縁日と記入されていました。

 箕面では、きのう通った滝道の不動明王のほかに、竜安寺の階段下にまつられている小さな不動明王さまがおられます。

 高いところにおられるのでお水が届かなくて、人影がないのを確かめて、何度も小さな柄杓に汲んでおかけします。子どもみたいです。

 でも、この子どもじみた行為を、不動明王は黙って許してくれているように感じるのです。なぜなら、純真になることを教え諭すのが不動明王だからです。

 

 

 宇宙の真理を表す大日如来の化身とされる不動明王は、恐ろしい表情で人々の迷いや煩悩を取り除き、すべての人を救済してくれます。

 

 私の業を焼き尽くして下さるありがたい不動明王。なかでも、吉野の金峯山寺の「金剛蔵王大権現」が脳裏に焼き付いています。初めて見たのはもう十年ほど前です。

 あれを一目惚れというのですね。今も目の中に残って、私を叱咤激励してくれる仏です。

 大きくて青くて見下ろしてくる金剛蔵王大権現は、役行者が感得されたそうです。

 左尊は釈迦如来の化身で過去を表し、真ん中の尊像は観音菩薩(現在)、左側の尊像は弥勒菩薩で未来を表しています。

 真っ正面で対峙する真ん中の尊像が一番大きいのは、生きている今を救わんとしておられるからでしょう。

 

 

 役行者は、わが町箕面とも縁の深い修験者です。

 701年に箕面天上ケ岳で入滅したとされていますから、月命日の毎月七日には「神変大菩薩」の供養があります。

 そもそも箕面と名付けたのも役行者といわれています。

 箕面大滝の流れ落ちる水を農具の箕(みの)の表面に見立てたとか。

 

 

 縁日つながりで、ネットを調べていたら、金峯山寺の「金剛蔵王大権現」のご開帳に行き当たりました。

 常には見られない秘仏ですから、お目にかかれたのは、あの最初の一回だけです。

 なのに、今日、このパンフレットに導かれたのは、「再会させてやるわ」と、お誘いを受けたようで、これは放っておいたら罰があたります。

 必ず行って、またご報告できたらと念じています。