こころあそびの記

日常に小さな感動を

三月尽

 

 山桜が咲き始めたことに、今日気づきました。昨日までは咲いてなかったのでしょうか。人が目の中に取り入れる情報は、自分が欲したものに限定されるような気がします。

 人と人であっても、人と物であっても、呼び合わないことには出会えない。

 NHKスペシャルの『中島みゆき』の録画を観て、彼女が呼び寄せた言葉の数々に酔いしれたことです。

 なかでも、『誕生』の「けれど思い出せないなら、私いつでもあなたに言う 生まれてきてくれてwelcom」が心に残りました。

 こんなふうに、たとえ迷子になったとしても、どこかから救いの手が伸びてくる世の中であればと念じました。

 

 

 さて、今日で三月はおしまいです。

 三月が尽きると書いて、旧暦に「三月尽(さんがつじん)」という言葉があります。

 春が終わってしまう感慨がこめられた言葉で、和語では「弥生晦(やよいつごもり)」といいます。

 新暦では、晩春といえば五月あたりになりますから少し感覚的にずれがあります。しかしながら、今日は五、六月の陽気でしたから「三月尽」ぴったりの春の終わりでした。

 きのうまで、首元を冷やす風が吹いていましたのに、一転、今日はマフラーも外して、そよ風に吹かれることが気持ちいい一日でした。

 

 

 元禄2年(1689年)の三月の終わりに江戸深川から奥州を目指したのが、45歳の松尾芭蕉でした。

 全長2400kmを143日で歩き通した旅は、のちに名著『奥の細道』に著されました。その長さ400字詰原稿用紙30枚の小品ながら、その中味の奥深さは、芭蕉が一俳人ではなかったことを示すものです。

 

 まず、冒頭の誰もが口ずさめる「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」の部分は、李白の「光陰者百代過客」を踏まえています。

 随所に中国の教養が取り入れられて、推敲のあとを感じさせるものになっています。

 

 その旅の最北の地は象潟(きさがた)です。現在の秋田県にかほ市に該当しますが、象潟はその後随分と埋め立てられたと聞いていますから、芭蕉が見たとおりの景色ではないかもしれません。

 雨の象潟で詠んだ一首が、

 

 象潟や雨に西施がねぶの花

 

 です。

 

 ここに登場する中国古代の越の国の美女“西施”は、呉王夫差に献上されます。夫差は西施に溺れて国を滅ぼすというストーリーが、かつての宝塚歌劇の『愛燃える』です。

 雨の多い象潟の天候に、西施の憂いに沈んだ面影を重ねられた芭蕉文学史上に名を残すに相応しいと、年をとるほどに思います。

 

 

 楠の紅葉が始まっています。赤くなった葉っぱは、二年以上、この木の光合成に貢献してきた長老です。

 次世代を確認してから、後を託すように散っていきます。できそうでできないこんな生きざま。大樹を見上げてそんなことを思うのも春ならです。