一輪また一輪。
今年の桜は蒸せかえるように一斉に咲く元気が感じられなくて、まだかな?という心配を通り越して、すべての蕾が開きますようにという切なる願いに変わってきました。
咲くタイミングを外してしまった桜が迷走しています。天からポンとお尻を叩いて目覚めさせてくださいますように。それも近々に。
桜を求めて、千里中央公園に行ってみました。
ピカピカの新一年生がお母さんたちに写真を撮ってもらっているところに出会いました。
新入生のスタートを象徴する桜。
誰ですか?秋入学なんて言い出すのは。
長くて暗かった冬を乗り越えて、全ての生物が目覚めて春になるのです。入学式も入社式も、春に行われるから気持ちがついて行くのではないでしょうか。
こぶしの花が盛りです。
冬の間、樹を守った葉っぱが落葉していく様が美しい。
あまり近寄れず、木の間に小さく写っているのが、「シロハラ」です。
落ち葉をよけて、土の中の虫やミミズを一心に啄んでいました。
関西では冬鳥ですから、もうすぐ繁殖地に帰って行くことでしょう。遠距離の旅に耐えられる旺盛な食べっぷりに安心したことでした。
谷川俊太郎さんの「かなしみ」という詩は、私が生まれた年に発表されたものです。
「 あの青い空の波の音が聞こえるあ
たりに
何かとでもない落とし物を
僕はしてきてしまったらしい 」
この“かなしみ”は、家持が感じた春愁に似たものです。
うらうらに照れる春日に
ひばり上がり
心悲しもひとりし思えば
家持が大好きなのに、この年まで生きると感性が鈍って、若いときには同調できた“かなしみ”がとてつもなく遠くなったことに気づきます。
それが、悲しいことなのか、達観とはそういうことなのか。
どちらにしても、この先、半ボケの鈍感力で生きるしかなさそうです。