こころあそびの記

日常に小さな感動を

母の祥月命日

 

  4月8日。お釈迦様のお誕生を祝す「花まつり」の日です。

 この4月8日というのは旧暦でのこと。現行暦の5月でなさるお寺もあるそうです。

 各お寺では、お釈迦様がお生まれになったルンビニの花園に見立てた小さなお堂を花で飾り、その中に誕生仏を安置します。

 「天上天下唯我独尊」と右手を天に、左手を地に指差すお像に甘茶をかけて誕生をお祝いするのです。

 

 

 でも、熱心な仏教徒でもない私は、心のどこかで、これじゃないとそわそわが消えません。そのほかに4月8日に忘れ物はないかしらと思っていましたら、弁当作りが終わった頃にようやく思い出しました。

 今日は母の祥月命日でした。

 あわてて、お墓参りに行きましたら、北摂の山々が霧に包まれていました。美しい景色にしばらく見とれていたら、「あんた、よう忘れんと来たな」と母の声が聞こえました。ぎりぎりセーフだったことに胸をなで下ろした朝でした。

 

 

 今年の桜は、咲くまでに労力を使い果たしましたから、開花から間もないのに、この雨で散っていきます。

 孫二人の中学、高校の入学式に照準を合わせたように咲いてくれたので、記念写真を最高潮の満開の花の下で撮ることができました。その大役を終えて、潔く散る花吹雪です。

 

 

 先日届いた今月号の『致知』は、しばらく玄関先に置かれたままでした。

 その表紙写真の人物は道場六三郎さんでした。恥ずかしながら、通るたびに目があった彼が母を思い出させてくれたのかもしれません。

 というのも、石川県山中温泉まで母を乗せて行った二十年前。

 道場六三郎さんが開業をサポートなさったと聞く旅館に宿を取って、美味しいお料理に舌鼓をうってくれた、思い出の最後の二人旅でした。

 

 

 その道場六三郎さんの記事の中で、「環境は心の鏡」と、つらい修業を乗り越えたお話をなさっています。

 自分の心や物事の捉え方を変えることで環境は変わっていく。

 そう言われても、自分が当事者であるときや、渦中にいるときには同意し難いことです。

 私もそうでした。もがいてももがいても抜け出せない苦しみは、一生続くのではないかと絶望したものです。

 でも、たとえば山の上から下を見るように、あの頃を見渡せるところまで来たら、それが嘘ではないことが分かりました。

 相手に変わって欲しいと願うのは間違いだったと。

 若気の至りを許して欲しいと、母に伝えたいと心から思っています。