こころあそびの記

日常に小さな感動を

夏雲

 

 空はその日限定の美しさを見せてくれます。今日の雲がそれでした。

 青空というキャンバスに、大きくて真っ白い雲がぽっかり浮かぶ様子を見ていると、それだけで得難いものをもらった気分になってきます。

 ですので、ついつい雲を追っかけて散歩してみましたら、いろんな発見がありました。

 

 

 これって、アスパラガスのお花ですか?もっと近づいて見せてもらえばよかった。

 

 

 これは、あるお宅のフェンスに実る葡萄。立派な房がいくつも生っています。葡萄が、刺繍や食器の模様に多用されるのは、実だけでなく葉っぱにも魅力があるからでしょう。絵心をそそられる形です。

 

 

 これは、コントレイルを残しながら、雲の中に飛びこんでいく飛行機。

 ここまで、しっかりとした軌跡を見せられると旅心が湧いてしまいます。行こうかな~

 

 

 近頃は旅に出てもせいぜい一泊が限度で、すぐに帰巣本能が頭をもたげます。冒険よりも安心。それは幸せなことなのかもしれません。

 

 

 最近、楽しみに加わったのが、朗読を聴くことです。

 プロの読み手のお声を拝聴しながら、気持ちよくなって寝てしまいます(笑)。寝たらあかんやん!

 こないだから、芥川龍之介の『杜子春』を何度も聴くのですが、いつも気がつくのは終わった後です。

 昨晩は、今日こそ結末まで聴こうと、やっと願いを果たすことができました。もちろん、父譲りの芥川龍之介全集も本箱に並んではいるのですが、引っ張り出すのも億劫で、聴いて済まそうという体たらくです。

 芥川龍之介の文章が読みやすいのは、彼の博識の賜物だと思います。

 中でも、『鼻』が好きです。

 なぜかというと団子鼻で生まれてきた私は、鼻に悩む主人公の禅智内供に共感するからです。

 物語の結末で、禅智内供に生まれもった鼻が良かったと言わせることで、鼻に悩む多くの人が救われたのではないでしょうか。私もその一人。

 すべての人がほっと胸をなでおろすような終わり方がいいですよね。

 『杜子春』も、お母さんの苦しむ姿を見て見ぬふりができなかったところがミソです。

 芥川の多くの作品がそうであるように、このお話も中国の古い小説から採られています。その原作では、見て見ぬふりをしたことになっているそうです。

 

 もし、その原作通りに話が運べば、この国では受け入れられなかったと思われます。

 人情。それが私たちが先祖から受け継いできた素質の中に生き続ける国であってほしいと、心から願うところです。