こころあそびの記

日常に小さな感動を

第15回花梨の会

 

 やっと咲き始めた山梔子の花。昨日の暑さで勢いをなくしてしまっています。ことしの夏はすべての生物にとって過酷です。

 梅の不作も、へんに温かい冬だったため、子宮が成熟しないうちに花が開いてしまったことに原因があると聞きました。

 若い人たちに知ってほしい成熟の意味です。

 

 

 今日の花梨の会は、Kさんの人生談義に泣き笑いさせていただきました。

 私より10歳ほど年長ですから、兵隊にこそ行っておられませんが、戦後の混乱を生き抜いてこられた生き証人です。

 こういうお話ができる人も減ってまいりました。今のうちに、貴重な体験談を伺っておきたいものです。

 

 深刻なお話は別の機会に取っておきまして、おもしろかったのは彼の一日のスケジュールです。

 「朝ご飯は召し上がるのですか?」と訊ねましたら、

 「家内が準備してくれたものを食べるという感じ」

 では、「お昼は?」

 「家内が出してくれたものを」

 「晩御飯は?」

 「準備してくれるものを」

 朝昼晩。彼の健康を守っておられるのは奥様でした。なんとお幸せなことでしょう。

 

 奥様は、彼を守ることを天命として生きておられるように思えます。

 強い意志を感じます。

 女には、愛されることに幸せを感じるタイプと、愛する方が好きなタイプがあります。

 きりゅうさんという方のYouTubeを観ていたら、「藤原倫子」のことを、相手から愛されることよりも、自分が彼のプロデューサーになることのほうが好きなタイプではと話されていて、なるほどと合点できました。

 『光る君へ』の倫子は、今から後半で相当活躍しそうです。

 それは、道長から愛情を奪うことではなく、自分の子どもや、道長の子どもと分かりながら育てるまひろの子どもなどを、どんどん出世させていくことにいのちを燃やすらしいです。

 もちろん、そういうことで評価されることを狙ってはいるのでしょうが。

 今は、女性の社会進出も珍しくなくなりましたが、平安時代の世では特殊な才能を持つ女性といわれたかもしれません。

 これからの『光る君へ』も目が離せません。

 

 倫子さんのような出来すぎの奥方とは別タイプで、かといって愛され上手でもない、使い物にならなくて、女性の風上にも置けないのが、実は私です。

 近ごろ、ようやく気づきました。これって、一つの病気かなと。

 自分が好きなときだけ燃えて、燃え尽きたら自己完結してお終いです。

 そこから恋が愛に変わって、長い時間を過ごすのよ~なんて、悠長なことができない、つまりせっかちなんでしょうね。

 愛されるより、愛する方が・・なんてういのは嘘です。

 愛される人のほうが百倍しあわせになれるように私は思うのですが、どうなんでしょう。

 大河ドラマで、愛に関して考えさせる作品って今までになかったパターンです。大石さんが本領発揮される愛のドラマを楽しみにしています。