こころあそびの記

日常に小さな感動を

吉兆

 

 わんこが不調で、ひとり散歩に出ました。

 ご無沙汰の春日神社へ。

 紫陽花が浮べられた手水桶に、宮司さんのお心が感じられました。

 私の前にお参りしていたのは、幼子連れの若いご夫婦でした。

 成人してから寺社にお参りする人は、決まって子供時分に親に連れられて参った記憶のある人だといいます。

 この若いお父さんお母さんも、きっと子どものころに手を引かれて神社にお参りされていたのでしょう。

 そんな景色が、また幼い女の子の思い出になって、いつの日かお母さんになって赤ちゃんを連れてきてほしいなぁ。

 

 

 突然、そうだ万博公園に蓮を見に行こうと思い立ち、モノレールに乗り込みました。

 

 

 日本庭園前のバラ園。

 

 

 公園管理の方が熱心に写真を撮られていたので私もパチリ。

 薄桃色の夾竹桃は珍しいですものね。

 

 

 いつも行くアリーナの池にあるネムノキの花はなかなか咲かないのに、ここでは満開でした。

 

 

 蓮池のまわりに数本も植わっている泰山木がいい匂いを振りまいていました。下向きの花をパチリ。

 

 

 蓮の最盛期はまだでした。

 

 

 睡蓮の上を飛び回っているセグロセキレイ。飛んでいるところを写真に撮れるなんてラッキーです。白黒の羽根が美しくてシャッターを押し続けました。

 ラッキーといえば、池の上を飛び回っているのは鳥だけではありません。トンボが幾種類もいました。

 羽が黒いハグロトンボ。輝くような青い羽が美しいチョウトンボ。胴体の赤いアカトンボ。シオカラトンボなどなど。

 トンボは吉兆。ラッキーづくしの蓮池でした。

 

 

 家に帰ってきたら、宮崎の郷田美紀子さんにお願いしていた「かぐや姫」(化粧水)が着いていました。 

 荷物の中に入っていたお手紙に、お母様がお亡くなりになった旨、それとなく記されていました。

 お父さん子だった彼女でしたから、お父さまが無くなったあとの喪失感は想像に難くありません。そんな抜け殻の彼女を何十年と支えてこられたのがお母様です。

 ですから、このたびのお別れはどれほどの痛手かと思います。

 

 でも、私は伝えたいと思いました。

 亡き人は、生きて側にいた時より、時として強力な応援をしてくれると。

 それは、まるで、側にいるがごとくです。

 それを、日を追うごとに感じるようになっていくとは、不思議なことです。

 そう思える年になりました。美紀子さんにお伝えしたいことです。